『天才の考え方 藤井聡太とは何者か?』加藤一二三/渡辺明 著

負けや失敗には必ず理由がある

勝つか負けるかの差は大きいとはいえ、負けたときにただ頭を切り替えればいいのかといえば、それは違うと思う。2017年に負け越した際、私が自分の指している将棋を振り返ってデータ化を試みたように、結果から生かせることはあるはずだ。

私にしても、これまで何度も「この将棋では勝てないのか!」と歯ぎしりした負けを経験している。それでもそこで自暴自棄にならずにやってきたのがよかった。

将棋は負けてこそ強くなる、と思うのだ。

この世界において勝ち負けという結果は動かすことができない。しかし、七番勝負などの場合は、一度負けたからといって終わりになるのではなく、あとがある。

負けや失敗の中には必ず理由がある。それを見つめて生かすようにしていけば、長い目で見て、負けにも意味を持たせられる。

負けてばかりで反省しかしていないというのはこの世界では許されないが、負けをしっかりと見直しておくスタンスは大切になってくる。

強い人ほど負けた将棋の内容がいいともいえる。

将棋界には「名局賞(対象の一年間で最も優れていると認められた対局に贈られる賞。勝者と敗者の両方が受賞する)」というものがある。私も何度か受賞しているが、勝った将棋でも負けた将棋でも受賞している。羽生九段などは負けた将棋で受賞していることのほうが多いのが事実だ。私はかつて、こうした賞は勝って受賞したいと思っていたが、負けた将棋で受賞することにも意味があるのに気がついた。

負けた将棋が評価されるというのは、苦しい状況の中でも粘り続け、どちらが勝つかわからないような名勝負に持ち込めたからである。そういう将棋にはそれだけのすごみがあるし、棋士の地力が伝わる。

そんな将棋を重ねていてこそ、強くなっていける部分もあるはずだ。

将棋の世界においても「スランプ」という言い方がされることはある。

個人的にはそういう見方をするのは3か月くらいの「短期」で見た場合に限られる、と思っている。

あの人はこの3か月ほど結果が出ていない、というようなケースは珍しくない。その場合、相手関係も含めためぐり合わせ的なものがあるかもしれないし、コンディションなどに問題がある場合も考えられる。自分の将棋に迷いが生じているといったケースもあるのだろう。