だが、結果が出ていない状態が半年も続けば、それはスランプではなく実力である。
力が落ちていると考えるか、問題点を見直していくか。

時間が解決してくれると考えて何もしないわけにはいかない状態だ。

「調子」という言い方をすることもあるが、将棋は結果がそのまま実力とイコール、とみなしていいゲームだ。

調子というと偶発的な要素に左右されているように聞こえる。将棋の場合、調子によって勝敗が左右されることはないと考えておくべきだ。

将棋のうち運に支配されるのは振り駒くらいである。

 

苦境の中で「やれること」を見つける意味

勝負哲学、勝負に対する心構えというものをひと言で表すのは難しい。

最近とくにそう思うようになってきたが、誰にもマッチングする勝負哲学、強くなる方法などはないような気がする。

結局のところ、人それぞれでしかない。いかに自分の個性、特性を生かせるかを一人ひとりが見つけていくしかないということだ。

事前の準備の重要性が高まっている中にあっては、気力や体力を充実させていることの意味も大きい。そういうところもないがしろにしないでやっていかなければならないのだから厳しい世界だといえる。

この先、私がいつまでタイトル争いを続けられるかはもちろん、いつまで棋士を続けられるかすらも正直、わからない。

私は以前の著書『勝負心』(2013年11月初版)の中でこう書いていた。

《永世称号の有資格者になって、まず考えたのは、引退の時期だ。
引退の時期は人それぞれで、棋士は一定の成績さえ挙がっていれば、定年はない。それこそ生涯、指すことだって可能だが、私はそこまでやることは考えていない。比較的若いうちに引退することも視野に入れつつ、棋士生活を過ごしている。
過去の永世称号の有資格者は、みな惜しまれつつ引退している。自分も、先輩棋士に倣って、地位を汚すことなく身を引ければと思う》

そう書いた4年ほどあとにどん底を経験したわけだが、その頃にも引退を意識したことはほとんどなかった。

いまも当然、引退という言葉は頭に浮かべていない。