初めは病気を受け入れられなかった
昌子 今、お子さんは?
秀樹 10歳、9歳、8歳。上が女の子で、下2人は男の子。昌子ちゃんは?
昌子 男ばかり3人で、25歳、24歳、19歳。全員、社会人になったので、ほっとしています。秀樹さんのところはお子さんたち、まだ小さいから、一緒に遊べるでしょう。
秀樹 脳梗塞のリハビリのために家の近くの公園を毎日、散歩しているのだけど、子どもたちもつきあってくれるんだ。といっても、僕がひたすら歩いているあいだ、子どもたちは遊んでいるけどね。
昌子 どのくらい歩かれるんですか。
秀樹 調子のいいときは1周200メートルの公園を20周くらい。右の手足がまだ少し不自由なので、杖なしで長い距離を歩くのは大変。でも、それがリハビリだからね。1日やればすぐによくなるというわけではなくて、年単位で考えないといけない。ともかく毎日がリハビリです。
昌子 2003年に脳梗塞に倒れてからの秀樹さんの闘病生活や、ステージで歌われるまでを追ったテレビの番組を拝見しました。大変な思いをしながら、一つひとつ困難な壁を乗り越えて、皆さんに夢と希望を与えている。素晴らしいと思ったのです。私自身、子宮がんなどの病気をして、心の痛みも体の痛みも経験したのですが、「人生、あきらめちゃいけないよ」というメッセージを秀樹さんからいただいたような気がして。
秀樹 僕も初めは病気を受け入れられなかった。でも今から考えると、1回目の脳梗塞はまだ軽いジャブみたいなもの。8年後の再発こそがアッパーカットをくらった感じで、挫折感も大きかった。「気をつけていたつもりなのに、なんで?」って。後遺症も初回のときより重くて、半身は麻痺、唇や舌がしびれてろれつが回りにくくなる症状もあった。思うように動かせない体に、「死んだほうがまし」と考えたことも……。
昌子 どうやってそこから抜け出したんですか。
秀樹 子どもたちを見てると、いつまでも落ち込んでいられない。たとえ体の自由を奪われても、上を向いていなきゃと思ったの。昌子ちゃんも大変な経験をしたんだよね。
昌子 離婚した翌年の06年に芸能界に復帰したのですが、その頃から重い更年期障害に苦しみました。20年ぶりに再デビューしたものの、声にハリやツヤはなく、歌そのものも思うように歌えない。みなさんの期待に応えられず、自分を責め続けて……。しかも、仕事の現場も、人も環境もすっかり変わっていて浦島太郎みたい。いろいろなことが重なり、心身のバランスを崩して、うつ状態になりました。さらに子宮に筋腫がいくつもできて、とどめが子宮がんの告知でしたから、「なんで自分が」と思いましたね。
秀樹 「なんで自分が」というのは僕も同じだったなあ。