婦人公論

この記事は広告を見ると
ご覧いただけます

続けて記事を読む
元のページに戻る
婦人公論
  • 最新号
  • アンケート・投稿
  • 定期購読
  • プレゼント
  • 会員登録
  • ログイン
会員限定 ランキング 芸能 読者手記 介護 お金 人間関係 漫画 レシピ 健康 美容 性愛 教養 占い 小説 連載
  • TOP
  • 連載
  • 滅びの前のシャングリラ/52ヘルツのクジラたち(2021本屋大賞ノミネート)
  • 凪良ゆう最新作『滅びの前のシャングリラ』冒頭を一挙掲載!
滅びの前のシャングリラ/52ヘルツのクジラたち(2021本屋大賞ノミネート)
2020年09月23日
教養 連載 寄稿

凪良ゆう最新作『滅びの前のシャングリラ』冒頭を一挙掲載!

凪良ゆう 作家
×

会員限定の機能です。
詳細はこちら

印刷
X
Facebook

 

 「江那」
 井上が尊大に顎をしゃくる。ここは上級民が集う国。下級民に刃向かう術(すべ)はない。
 とりあえず手を上げた。みんながおっという顔をする。音楽に合わせて身体をぐにゃっとさせると、一斉に笑いが起きる。それ以上どうしていいのかわからず、とにかく海中のワカメのように揺らめき続けるぼくを、みんなが大笑いしながらスマートフォンで撮っている。屈辱に心をへし折られる前に、ぼくは心に蓋をして、いつものやり方に逃げ込む。
 まず、こいつら全員に呪いをかける。飲食店に入ったら必ず注文を忘れられる呪い、結婚式の日にものもらいができる呪い。カレーの日に炊飯器のスイッチを押し忘れる呪い。ぐにゃぐにゃくねりながら呪いに励んでいるうちに、曲は二番へと突入していく。
 この呪いにはコツがある。こいつらが馬鹿話をして歩いているときに車が突っ込んできて、身体がばらばらに飛び散って死にますようにとか、こいつらの親が破産して借金取りに追われて一家離散しますように、なんてのはナシだ。どこかに一抹のユーモアを残さなければならない。
 本気の呪いは我に返ったときつらい。それをぼくは経験で学んでいる。人の死を願うほど自分はみじめな思いをしているという現実と、勧善懲悪なんて今どき物語の中にも滅多にないという現実と、呪いなんてこの世にないという当然の現実。現実三連発だ。
 そうしてぼくは今日も、絶望という名の嵐の海を、ユーモアという小舟に乗ってなんとか航海し続けている。遥か遠くに見える岸目指して懸命にオールを漕ぐ中、迂闊(うかつ)にも藤森さんと目が合ってしまった。彼女だけが笑っておらず、かすかに眉根を寄せている。
 笑ってもらえないピエロは、笑われるピエロの一万倍つらい。
 ユーモアの小舟が危うく転覆しかけ、とっさにワカメダンスの動きを大きくした瞬間、藤森さんが立ち上がった。びくっと動きを止めたぼくに目もくれず、藤森さんは不機嫌そうに部屋を出ていく。その藤森さんを追うように、井上もそそくさと出ていく。残されたみんなが意味深に目配せを交わし合い、ぼくはダンスを再開する。
 学校一の美少女である藤森さんは当然もてる。そして片っ端からふっていく。女子に人気のサッカー部イケメンエース先輩が告白にもたついたとき、「用事があるんで急いでください」と言い放ち、エース先輩をあっさり撃破。藤森さんの格上感は揺るぎないものとなった。
 今では藤森さんに告白しようという勇者は激減したが、井上はそれでも粘っているうちのひとりだ。それを知っているみんなの反応はそれぞれで、さりげなく廊下を気にしている男子は藤森さんに片想いをしていて、向かいの暗い表情の女子は井上に片想いをしているのだろう。その子の友人の女子は小声で励ましの言葉をかけていて、残りはにやにやしている野次馬。
 世界は序列で分断されているが、それぞれの階層内に渦巻く愛憎に変わりはない。ぼくはやる気のない海藻のようにゆらゆら揺れながら、それらをただ眺めている。真っ向から立ち向かわないと決意すれば、日々はやや楽に過ぎていく。
 曲が終わったあと、帰ろうとするぼくを引き止める者は誰もいなかった。
 だるい足取りで廊下を歩いていくと、階段の手前にいるふたりに出くわした。壁際に藤森さんを追い込む形で、井上が熱心に話しかけている。
「なあ、いいじゃん。雪絵の都合に合わせるからどっか行こ」
 呼び捨てなのが癪に障った。藤森さんは迷惑そうに目をそらしている。完全脈なしの光景にぼくは心を強くした。ふたりに近づき、ごくりと唾を飲んで態勢を整える。
「井上くん」
 声をかけると、井上が振り返った。
「ああ、もう帰っていいよ。おつかれ」
 遊び飽きた野良犬を追い払うような口ぶりで、井上はすぐに藤森さんに向き合うが、ぼくは立ち去らなかった。鞄から財布を取り出し、百円玉を差し出した。
「さっきの買い物のお釣り、計算ちがいしてたから返すよ」
 井上は舌打ちをし、めんどくさそうにぼくの手のひらから硬貨をもぎ取った。
 その隙に藤森さんが井上の横をすり抜け、女子トイレへ逃げていく。あっと井上がそちらを見たがもう遅い。井上は間抜け面をさらし、そのあとじろりとぼくをにらみつけた。いきなり脛(すね)を強く蹴られ、ぼくは痛みにしゃがみ込んだ。
「空気読めよ」
 短く吐き捨て、井上は部屋に戻っていく。ふん、馬鹿め。人に空気を読ませる前に、おまえは女心を読め。どう見ても嫌がられていたじゃないか。藤森さんはぼくを見るときと同じ目でおまえを見ていたぞ。藤森さんにとって、おまえはぼくと同レベルなのだ。
 ――全然嬉しくないけど。
 ねじれて何回転もしている卑下が混ざり合い、ふっと笑みを浮かべたときだ。
「なにがおかしいの?」
 びくっと顔を上げると、女子トイレのドアが半端に開いていて、藤森さんが顔を少しだけ出していた。ぼくは笑いを引っ込めた。自分ですら回収が難しい笑みの理由など説明できない。ぼくは立ち上がり、なんでもないです、とへこへこ頭を下げて階段に向かった。
「さっきは」
 小さなつぶやきに振り返ると、藤森さんが素早く顔を引っ込めた。
「ありがとう」
 早口のお礼と共に、バタンとドアが閉まる。
 あちこちの部屋から洩れてくるヘタクソな歌をBGMに、ぼくは立ち尽くした。
 礼を言われたくて助けたわけじゃない。けれど言われるとすごく嬉しい。
 帰りの電車に揺られながら、何度も記憶をリプレイした。思いがけず藤森さんと話ができた上にお礼まで言われた歓びと(あれを話と呼べるくらいには、ぼくと女子は断絶している)、いじめられている現場を藤森さんに目撃された羞恥がキメラ状に入り組んで胸が激しく軋(きし)んでいる。
 ――あんな近くで見たの、いつぶりだろう。
 家の最寄り駅で電車を降り、階段とは逆方向にホームを歩いていく。
 ホームの端にあるベンチに腰を下ろすと、途切れた屋根から差し込む西日に目を射られる。眩しさに目を閉じ、ここで藤森さんと話をしたときのことを思い出した。

 

  • <
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • >
×

会員限定の機能です。
詳細はこちら

印刷
X
Facebook
ランキング
  • デイリー
  • ウイークリー
  • 1【70代で交際スタート】老後の暇つぶしのはずが、優しい彼に惹かれていく。娘からくぎを刺されたけど…【第2話まんが】
    【70代で交際スタート】老後の暇つぶしのはずが、優しい彼に惹かれていく。娘からくぎを刺されたけど…【第2話まんが】
  • 2【70代、彼氏ができて毎日が楽しい】付き合って3ヵ月、同棲を提案された。前向きな気持ちで娘に相談したら、詐欺だと言い出して…【第3話まんが】
    【70代、彼氏ができて毎日が楽しい】付き合って3ヵ月、同棲を提案された。前向きな気持ちで娘に相談したら、詐欺だと言い出して…【第3話まんが】
  • 3【70代で彼氏ができた】夫に先立たれて10年、ひとり暮らしを楽しんでいたけど…【第1話まんが】
    【70代で彼氏ができた】夫に先立たれて10年、ひとり暮らしを楽しんでいたけど…【第1話まんが】
  • 4『あんぱん』次週予告。「アンパンマンが嵩さんの思いを届けてくれる」とのぶ。「ついに見つけたにゃあ」と話すのは久しぶりに登場したあの人で…
    『あんぱん』次週予告。「アンパンマンが嵩さんの思いを届けてくれる」とのぶ。「ついに見つけたにゃあ」と話すのは久しぶりに登場したあの人で…
  • 5【お金目当ての息子の彼女】初めて家に来た日、お菓子にも手をつけずほとんど話さない彼女に不安を覚え…【第1話まんが】
    【お金目当ての息子の彼女】初めて家に来た日、お菓子にも手をつけずほとんど話さない彼女に不安を覚え…【第1話まんが】
  • 6『あんぱん』次週予告にちらりと登場、あの方は…『エール』で主人公夫婦の娘、『どうする家康』では鳥居元忠の妻として非業の死「まさか自分が出演できるなんて」
    『あんぱん』次週予告にちらりと登場、あの方は…『エール』で主人公夫婦の娘、『どうする家康』では鳥居元忠の妻として非業の死「まさか自分が出演できるなんて」
  • 7「学校に行かなくていいよ」と認めたら勉強せずゲームばかり…それでも「ゲームは禁止にしなくていい」理由とは
    「学校に行かなくていいよ」と認めたら勉強せずゲームばかり…それでも「ゲームは禁止にしなくていい」理由とは
  • 8来週の『あんぱん』あらすじ。嵩は再び“おじさんアンパンマン”の絵を描き始め、物語はほぼ完成する<ネタばれあり>
    来週の『あんぱん』あらすじ。嵩は再び“おじさんアンパンマン”の絵を描き始め、物語はほぼ完成する<ネタばれあり>
  • 9【息子の彼女に不信感】家事も料理もしないが、結婚後は仕事を辞めたいらしく…楽観的な息子が心配【第2話まんが】
    【息子の彼女に不信感】家事も料理もしないが、結婚後は仕事を辞めたいらしく…楽観的な息子が心配【第2話まんが】
  • 10誇りだけど苦労も。日本一の湖と共に暮らす滋賀県民の琵琶湖ライフ。新潟県民が太巻きに入れる《謎の食材》とは?『秘密のケンミンSHOW 極』
    誇りだけど苦労も。日本一の湖と共に暮らす滋賀県民の琵琶湖ライフ。新潟県民が太巻きに入れる《謎の食材》とは?『秘密のケンミンSHOW 極』
  • 1【70代で交際スタート】老後の暇つぶしのはずが、優しい彼に惹かれていく。娘からくぎを刺されたけど…【第2話まんが】
    【70代で交際スタート】老後の暇つぶしのはずが、優しい彼に惹かれていく。娘からくぎを刺されたけど…【第2話まんが】
  • 2【70代、彼氏ができて毎日が楽しい】付き合って3ヵ月、同棲を提案された。前向きな気持ちで娘に相談したら、詐欺だと言い出して…【第3話まんが】
    【70代、彼氏ができて毎日が楽しい】付き合って3ヵ月、同棲を提案された。前向きな気持ちで娘に相談したら、詐欺だと言い出して…【第3話まんが】
  • 3【70代で彼氏ができた】夫に先立たれて10年、ひとり暮らしを楽しんでいたけど…【第1話まんが】
    【70代で彼氏ができた】夫に先立たれて10年、ひとり暮らしを楽しんでいたけど…【第1話まんが】
  • 4明日の『あんぱん』あらすじ。蘭子が柳井家に草吉を連れてくる。久々の再会に大喜びののぶたちで…<ネタばれあり>
    明日の『あんぱん』あらすじ。蘭子が柳井家に草吉を連れてくる。久々の再会に大喜びののぶたちで…<ネタばれあり>
  • 5『あんぱん』次週予告。嵩が原稿を投げ、蘭子と八木には距離が。にらみ合う登美子と羽多子。そして「ごめんなさい」と呟いたのは久々登場の…
    『あんぱん』次週予告。嵩が原稿を投げ、蘭子と八木には距離が。にらみ合う登美子と羽多子。そして「ごめんなさい」と呟いたのは久々登場の…
  • 6井之脇海が明かした新之助が最期に笑顔で逝けた理由。「横浜流星さんはとにかくストイック。10年前のワークショップの時点で…」大河ドラマ『べらぼう』インタビュー
    井之脇海が明かした新之助が最期に笑顔で逝けた理由。「横浜流星さんはとにかくストイック。10年前のワークショップの時点で…」大河ドラマ『べらぼう』インタビュー
  • 7女性3人アポなしガチンコ旅『バス旅W』第6弾「長野県・車山高原~福島県・磐梯熱海温泉」が放送に。強敵・越後山脈へ挑むか迂回か。3人が選んだルートは…
    女性3人アポなしガチンコ旅『バス旅W』第6弾「長野県・車山高原~福島県・磐梯熱海温泉」が放送に。強敵・越後山脈へ挑むか迂回か。3人が選んだルートは…
  • 8黒柳徹子 開戦後に亡くなった弟のことを「なんにも覚えていない」理由とは。ようやく疎開先が決まったそばから東京に戻ることになり…
    黒柳徹子 開戦後に亡くなった弟のことを「なんにも覚えていない」理由とは。ようやく疎開先が決まったそばから東京に戻ることになり…
  • 9『あんぱん』次週予告。「アンパンマンが嵩さんの思いを届けてくれる」とのぶ。「ついに見つけたにゃあ」と話すのは久しぶりに登場したあの人で…
    『あんぱん』次週予告。「アンパンマンが嵩さんの思いを届けてくれる」とのぶ。「ついに見つけたにゃあ」と話すのは久しぶりに登場したあの人で…
  • 10<見せしめだよ>『べらぼう』次回予告。松平定信の厳しい統制を前に追い詰められる田沼派。居揃った戯作者、絵師、狂歌師を前に蔦重が告げた決意とは…
    <見せしめだよ>『べらぼう』次回予告。松平定信の厳しい統制を前に追い詰められる田沼派。居揃った戯作者、絵師、狂歌師を前に蔦重が告げた決意とは…
もっと見る
MOVIE
ー 婦人公論.jp 公式チャンネル ー

編集部おすすめ
もうじきたべられるぼく特設サイト
最新号 好評発売中!
婦人公論最新号表紙
よく死ぬことは、よく生きることだから
最新号 次号予告 バックナンバー
発言小町注目トピ
  • 遅番ができない人は正社員でいられないですか?
  • 相続を放棄して欲しいと言われました
  • 悪いのは言い出しっぺ?連れてきた人?
中央公論新社の本
三千円の使いかた
三千円の使いかた
原田ひ香 著
詳しくみる

インフォメーション

  • 作家・伊東潤さんと、呉市海事歴史科学館 館長・呉市参与・戸髙一成さんの対談イベント
    作家・伊東潤さんと、呉市海事歴史科学館 館長・呉市参与・戸髙一成さんの対談イベント
  • さかもと未明さんによる拉致問題解決を祈る連作絵画など展示『日本・フランス現代美術世界展』国内外の多彩なアートが集結
    さかもと未明さんによる拉致問題解決を祈る連作絵画など展示『日本・フランス現代美術世界展』国内外の多彩なアートが集結
  • 【編集部より】お詫びと訂正
    【編集部より】お詫びと訂正
  • 【編集部より】公式アドレスの不正利用について
    【編集部より】公式アドレスの不正利用について
インフォメーション一覧
婦人公論
  • 婦人公論とは
  • サイトポリシー/データの収集と利用について
  • 「ff倶楽部」会員規約
  • 「ff倶楽部」よくあるご質問
  • お問い合わせ
  • 広告掲載
婦人公論

CHUOKORON-SHINSHA,INC.All right reserved

ページのトップへ