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滅びの前のシャングリラ/52ヘルツのクジラたち(2021本屋大賞ノミネート)
2020年09月23日
教養 連載 寄稿

凪良ゆう最新作『滅びの前のシャングリラ』冒頭を一挙掲載!

凪良ゆう 作家
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 「江那」
 井上が尊大に顎をしゃくる。ここは上級民が集う国。下級民に刃向かう術(すべ)はない。
 とりあえず手を上げた。みんながおっという顔をする。音楽に合わせて身体をぐにゃっとさせると、一斉に笑いが起きる。それ以上どうしていいのかわからず、とにかく海中のワカメのように揺らめき続けるぼくを、みんなが大笑いしながらスマートフォンで撮っている。屈辱に心をへし折られる前に、ぼくは心に蓋をして、いつものやり方に逃げ込む。
 まず、こいつら全員に呪いをかける。飲食店に入ったら必ず注文を忘れられる呪い、結婚式の日にものもらいができる呪い。カレーの日に炊飯器のスイッチを押し忘れる呪い。ぐにゃぐにゃくねりながら呪いに励んでいるうちに、曲は二番へと突入していく。
 この呪いにはコツがある。こいつらが馬鹿話をして歩いているときに車が突っ込んできて、身体がばらばらに飛び散って死にますようにとか、こいつらの親が破産して借金取りに追われて一家離散しますように、なんてのはナシだ。どこかに一抹のユーモアを残さなければならない。
 本気の呪いは我に返ったときつらい。それをぼくは経験で学んでいる。人の死を願うほど自分はみじめな思いをしているという現実と、勧善懲悪なんて今どき物語の中にも滅多にないという現実と、呪いなんてこの世にないという当然の現実。現実三連発だ。
 そうしてぼくは今日も、絶望という名の嵐の海を、ユーモアという小舟に乗ってなんとか航海し続けている。遥か遠くに見える岸目指して懸命にオールを漕ぐ中、迂闊(うかつ)にも藤森さんと目が合ってしまった。彼女だけが笑っておらず、かすかに眉根を寄せている。
 笑ってもらえないピエロは、笑われるピエロの一万倍つらい。
 ユーモアの小舟が危うく転覆しかけ、とっさにワカメダンスの動きを大きくした瞬間、藤森さんが立ち上がった。びくっと動きを止めたぼくに目もくれず、藤森さんは不機嫌そうに部屋を出ていく。その藤森さんを追うように、井上もそそくさと出ていく。残されたみんなが意味深に目配せを交わし合い、ぼくはダンスを再開する。
 学校一の美少女である藤森さんは当然もてる。そして片っ端からふっていく。女子に人気のサッカー部イケメンエース先輩が告白にもたついたとき、「用事があるんで急いでください」と言い放ち、エース先輩をあっさり撃破。藤森さんの格上感は揺るぎないものとなった。
 今では藤森さんに告白しようという勇者は激減したが、井上はそれでも粘っているうちのひとりだ。それを知っているみんなの反応はそれぞれで、さりげなく廊下を気にしている男子は藤森さんに片想いをしていて、向かいの暗い表情の女子は井上に片想いをしているのだろう。その子の友人の女子は小声で励ましの言葉をかけていて、残りはにやにやしている野次馬。
 世界は序列で分断されているが、それぞれの階層内に渦巻く愛憎に変わりはない。ぼくはやる気のない海藻のようにゆらゆら揺れながら、それらをただ眺めている。真っ向から立ち向かわないと決意すれば、日々はやや楽に過ぎていく。
 曲が終わったあと、帰ろうとするぼくを引き止める者は誰もいなかった。
 だるい足取りで廊下を歩いていくと、階段の手前にいるふたりに出くわした。壁際に藤森さんを追い込む形で、井上が熱心に話しかけている。
「なあ、いいじゃん。雪絵の都合に合わせるからどっか行こ」
 呼び捨てなのが癪に障った。藤森さんは迷惑そうに目をそらしている。完全脈なしの光景にぼくは心を強くした。ふたりに近づき、ごくりと唾を飲んで態勢を整える。
「井上くん」
 声をかけると、井上が振り返った。
「ああ、もう帰っていいよ。おつかれ」
 遊び飽きた野良犬を追い払うような口ぶりで、井上はすぐに藤森さんに向き合うが、ぼくは立ち去らなかった。鞄から財布を取り出し、百円玉を差し出した。
「さっきの買い物のお釣り、計算ちがいしてたから返すよ」
 井上は舌打ちをし、めんどくさそうにぼくの手のひらから硬貨をもぎ取った。
 その隙に藤森さんが井上の横をすり抜け、女子トイレへ逃げていく。あっと井上がそちらを見たがもう遅い。井上は間抜け面をさらし、そのあとじろりとぼくをにらみつけた。いきなり脛(すね)を強く蹴られ、ぼくは痛みにしゃがみ込んだ。
「空気読めよ」
 短く吐き捨て、井上は部屋に戻っていく。ふん、馬鹿め。人に空気を読ませる前に、おまえは女心を読め。どう見ても嫌がられていたじゃないか。藤森さんはぼくを見るときと同じ目でおまえを見ていたぞ。藤森さんにとって、おまえはぼくと同レベルなのだ。
 ――全然嬉しくないけど。
 ねじれて何回転もしている卑下が混ざり合い、ふっと笑みを浮かべたときだ。
「なにがおかしいの?」
 びくっと顔を上げると、女子トイレのドアが半端に開いていて、藤森さんが顔を少しだけ出していた。ぼくは笑いを引っ込めた。自分ですら回収が難しい笑みの理由など説明できない。ぼくは立ち上がり、なんでもないです、とへこへこ頭を下げて階段に向かった。
「さっきは」
 小さなつぶやきに振り返ると、藤森さんが素早く顔を引っ込めた。
「ありがとう」
 早口のお礼と共に、バタンとドアが閉まる。
 あちこちの部屋から洩れてくるヘタクソな歌をBGMに、ぼくは立ち尽くした。
 礼を言われたくて助けたわけじゃない。けれど言われるとすごく嬉しい。
 帰りの電車に揺られながら、何度も記憶をリプレイした。思いがけず藤森さんと話ができた上にお礼まで言われた歓びと(あれを話と呼べるくらいには、ぼくと女子は断絶している)、いじめられている現場を藤森さんに目撃された羞恥がキメラ状に入り組んで胸が激しく軋(きし)んでいる。
 ――あんな近くで見たの、いつぶりだろう。
 家の最寄り駅で電車を降り、階段とは逆方向にホームを歩いていく。
 ホームの端にあるベンチに腰を下ろすと、途切れた屋根から差し込む西日に目を射られる。眩しさに目を閉じ、ここで藤森さんと話をしたときのことを思い出した。

 

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