そんな母が68歳のときに乳がんで亡くなり、父はガックリきちゃって。表面的には普通にしていましたけど、やっぱり寂しそうでしたね。母が亡くなる前に、長年コンビを組んでいた菊田一夫さんも亡くなり、その頃から父の創作意欲は次第に薄れていきました。

ただ、頭の中から曲が自然と湧いてくるのは相変わらずだったようです。脳梗塞で倒れて入退院を繰り返し、自宅で療養していた晩年は、一日中うつらうつらしていましたけど、もしかすると頭の中で自分の好きな音楽をずっと聴いていたんじゃないでしょうか。「お金のために曲を作っているんじゃない」と言っていたように、父はとにかく曲を作るのが大好きだった。そういう意味では、本当に幸せな人生だったと思います。自分の好きなことだけに没頭し、一生を過ごすことができたわけですからね。

昭和57年『オールスター家族対抗歌合戦 放送10周年記念お楽しみ大会』で。前列の中央が裕而さん、右に正裕さんの長女・幸子さん、妻・直子さん

父を超えられるとは思えず、別の道へ

音楽をこよなく愛する両親に育てられたにもかかわらず、僕は音楽の道には進みませんでした。小学生の頃に習わされたピアノはつまらなかったけど、高校生のときに友人たちとカントリーバンドを組んでピアノを弾いていたときは楽しかったし、ヴィレッジ・シンガーズがプロになるときに、バンドのメンバーとして一緒にやらないかと誘われたこともありました。

でも、音楽の道に進んだら、やっぱり親の七光りだと言われてしまう。その言葉をはね返すには親を超えないといけないわけですが、自分が父を超えられるとは思えなかった。だったら、音楽は趣味でやろうと。大学では数学を専攻し、卒業後は新聞社に勤めてコンピュータ関連の部署で働いていました。