その会社を98年に早期退職した後、最初はブティックを始めたんですよ。姉たちに言わせれば、「やっぱり呉服屋の血をひいてるのね」って(笑)。ドラマでも裕一の実家は「喜多一」という呉服屋でしたが、実際は「喜多三」という屋号の店でした。呉服屋のせがれだったので、父も着物や服が好きだったし、今思えば、両親ともにお洒落でしたね。

そうこうするうちに、学生時代に一緒にバンドを組んでいた仲間が次々と退職し、おやじバンドでもやろうかって。その流れの中で、自分で父の曲を演奏してみるのもいいかなと思い、ピアノをもう一度習い、歌手の鈴木聖子さんと「喜多三」というユニットを組んだのです。僕がシンセサイザーで、鈴木さんが歌。ピアノの方にも入ってもらい、2013年から、定期的にライブ活動をしています。

神宮球場で「紺碧の空」を指揮する裕而さん

僕が一番好きな曲は

この年齢になってあらためて父の曲を奏でてみると、単なる流行歌とは違う力強いメロディラインが父の音楽の魅力なのだということに気づかされます。「長崎の鐘」「君の名は」「イヨマンテの夜」など、どれをとってもクラシックの基本にのっとって作曲されているので、時代を超えて歌い継がれるスタンダードになっている。

僕が一番好きなのはやっぱり「オリンピック・マーチ」でしょうか。この曲が開会式で演奏されたとき、僕は高校3年生。家族でテレビを観ながら、アナウンサーの「心が浮き立つような古関裕而の『オリンピック・マーチ』が流れます!」という実況を聞いて誇らしく感じた気持ちは、今も変わりません。

いわば、戦後日本の音楽のスタンダードを作ったとも言えるのが父の曲。そんな父の音楽を聴いて育った年代の方にはもちろんのこと、平成生まれ、令和生まれの若い世代にも、父の曲を聴いてもらえたらとても嬉しい。『エール』というタイトルのように、みんなの人生を応援し、元気を与えてくれる父の音楽の魅力を伝えるために、これからもライブ活動を続けていきたいと思っています。