『公安調査庁 情報コミュニティーの新たな地殻変動』(著:手嶋龍一/佐藤優・中公新書ラクレ)

日本の情報機関を強化するための秘策

インテリジェンスは不思議な世界だ。各国の機関は、協力することもあるが、互いにあらゆる手段を用いて、相手国が秘匿する情報を入手しようとする。コロナ禍で、グローバル化に歯止めがかかり、国家機能が強化されている状況では、インテリジェンス機関の機能が一層重要になる。筆者が外交ジャーナリストの手嶋龍一氏と7月に『公安調査庁』(中公新書ラクレ)を上梓したのも、日本のインテリジェンス機能の強化に貢献したいと思っているからだ。

公安調査庁は、国際情勢に関して高度なオシント(OSINT:Open-Source Intelligence[公開情報諜報])能力を持っている。また国内でも積極的にヒュミント(HUMINT:Human Intelligence[人的諜報])活動を行っている。ヒュミントとは、協力者を養成して秘密情報を入手する技法だ。公安調査庁の活動が、世の中であまり認知されていないのは、このインテリジェンス機関の「身分問題」によるところが大きい。

手嶋 公安調査庁は、国民に選ばれた国会、納税者、そしてメディアの監視を存分に受けてしかるべきです。そのうえで独自のインテリジェンス機能をさらに強化し、苛烈な環境のなかで国家が生き延びるために働いてもらわなくてはなりません。そのための課題の一つ、それが調査官の「身分」をどうしていくかでしょう。

公安調査庁に対する認知度が低い理由は、じつに「身分問題」にあるのです。総勢1660人に及ぶ調査官は、自らの名前と所属を名乗って調査活動をしているかといえば、大半のケースは「否」なのです。平たく言うと、公安調査官は、調査対象者に名刺を切って話を聞いていない。その特殊な任務の性格からして、身分偽装をして対象にアプローチします。彼らは寄る辺なき立場で、調査現場に赴いているのです。

佐藤 この点に関して言えば、防衛省の情報部門や警備・公安警察にも共通しています。情報を収集するに当たって、自らの身分を隠したり、偽ったりして、対象にアプローチするケースが多いのです。ペンネームで仕事をしている作家が罰せられないのと一緒で、国家公務員が架空の人間の名刺で仕事をしても、そのこと自体が直ちに法に触れるわけではない。しかしながら、「身分証明書を見せてください」と言われたら、偽装はたちまちバレてしまいます。もちろん、身分証明書もどきをコンピューターで作成することなど技術的には容易です。ですが、それをやれば、今度は公文書偽造の罪に問われることになります。

手嶋 違う人になりきって収入を得ると、所得税違反で挙げられる可能性もありますね。ですから、「身分偽装」は危険がいっぱいなのです。

佐藤 ですから、日本が真剣に国家を守るための諜報機関をつくる決意を固めるなら、公安調査官に本名と違う身分証やパスポートを発行できるよう法的な体制を整える必要があります。そうしない限り、国際基準で第一級の情報活動などできません。〉
(『公安調査庁─情報コミュニティーの新たな地殻変動』220~222頁)

裏返して言うならば、日本のインテリジェンス・オフィサーに身分を偽装する法的根拠が与えられれば、ヒュミント能力は飛躍的に高まる。