スパイ映画さながらの脱出劇
1985年5月にKGBは、CIA(米中央情報局)に潜入していた協力者オールドリッチ・エイムズ氏の情報提供によってゴルジエフスキー氏の裏切りに気づき、ロンドンに勤務していた同氏をモスクワに呼び戻した。ゴルジエフスキー氏は尋問を巧みにかわし、SISに指示された通り、信号地点に「セーフウェイ」のレジ袋を持って現れた。SISは直ちに「ピムリコ」工作を発動した。ゴルジエフスキー氏は乗用車のトランクに隠れてソ連からフィンランドに密出国した。SIS支局員が懸念したのはゴルジエフスキーの体臭だった。
〈汗と安物の石けんとタバコとビールの混じった臭いが、車の後ろから臭ってくるのだ。(中略)「それはロシアの臭いでした。イギリスの普通の車では感じられないものでした」。鼻のいい探知犬なら、車の後ろから、前に座っている旅行者とはまったく違う臭いがすることに気づくはずだ。〉(前掲書423頁)
ソ連の探知犬が近寄ってきたとき、SIS支局員は赤ん坊のオムツを車のトランクの上で交換し、その悪臭でゴルジエフスキー氏の体臭を誤魔化した。探知犬は退散した。スパイ映画の様な脱出劇だった。
興味深いのは、その後のゴルジエフスキーの現況だ。1991年8月にソ連共産党守旧派のクーデターが失敗した1カ月後にソ連政府は、モスクワに留め置かれていたゴルジエフスキー氏の妻と娘二人の英国への出国を認めた。しかし、夫婦関係は崩れ、二人は離婚し、娘は妻についていった。
〈今もオレーク・ゴルジエフスキーは、ソ連から脱出した後すぐに移り住んだ、イングランドの平凡な郊外の通りに面する一戸建てに住み、偽名を使って暮らしている。彼の自宅は、まったくと言っていいほど目立たない。周りを囲む高い生け垣と、誰かが建物に近づいたとき目に見えないレーザー感知システムから出るピーンという警告音だけが、近所の家と違うのかもしれないということを伝えている。死刑執行命令はまだ有効であり、MI6は最も大切な冷戦期のスパイを今も警護し続けている。KGBの怒りは消えてはいない。
2015年、当時ウラジーミル・プーチンの大統領府長官だったセルゲイ・イワノフは、ゴルジエフスキーのせいでKGBでのキャリアが潰されたとして、次のように語った。「私はゴルジエフスキーにやられた。彼の恥ずべき裏切りとイギリス情報機関によるスカウトが私の人生を壊したとは言えないが、仕事でいくつかの問題を抱えることになった」。〉(前掲書472頁)
「ピムリコ」工作のとき、KGBレニングラード支局で外国人監視の責任者だったのがイワノフ氏だ。ちなみにプーチン氏は、イワノフ氏の部下だった。二人は、ゴルジエフスキー氏の逃亡を阻止できなかった責任をKGB本部から厳しく追及された。プーチン氏がKGBにおけるキャリアに見切りを付けた原因がこの事件であるという見方もロシアのインテリジェンス関係者の中にある。
ゴルジエフスキー氏は、被告人不在のまま軍法会議にかけられ、1985年11月14日に死刑判決が言い渡された。この判決は現在も取り消されていない。
インテリジェンスの世界に時効はない。FSBとSVRは、今後も執拗にゴルジエフスキー氏の命を狙うであろう。「裏切り者に死を」というのはロシアのインテリジェンス機関の不文律だ。ゴルジエフスキー氏は、死ぬまで安心して眠れる日は一日もないであろう。もっとも英国も同氏を死ぬまで全力をあげて守るであろう。
日本も制度さえ整えれば、このレベルのインテリジェンス活動を外国で展開することができると筆者は信じている。
(2020年7月22日脱稿)