キョンキョンがプロデューサーになった

重松 話は少し逸れますが、小泉さんがプロデューサーの仕事を始められたきっかけは?

小泉 アイドルとして活動していた頃からアイデアを考えるのが好きでした。衣装のデザインやライブの構成、プロモーションビデオの編集をやらせてくれたり、私のプロデュース能力みたいなものを育ててくれる方が、まわりにたくさんいたんです。でも、自分の作品でしかやってこなかった。

小劇場の公演を観に行くようになって、アルバイトしながら好きな演劇に打ち込む才能のある役者さんとか、世に知られていないけれど面白い脚本を書く人たちがいっぱいいるのを知りました。彼らと何かをしたいと思ったんです。

重松 それで会社をつくった――。

小泉 残された時間は長くない。今から始めないと人生終わってしまう。それで、50歳を機に新たな道に踏み出したのです。

重松 小泉さんの会社の名前は「明後日」ですね。

小泉 私の名前が「今日子」、演劇の制作にとスカウトした女性の名前が、偶然にも「明日子」。

行定 お~っ。

小泉 できすぎた話ですみません(笑)。それで、明日はまだ役に立たないかもしれないけれど、その次の日の可能性を信じてみようというので「明後日」にしました。

重松 希望につながる名前です。小泉 だけど、今はコロナ禍で、失われていることが本当にたくさんあります。

行定 東京の学校に進学したのに、地方の実家にずっといる学生も多いですよね。閉じられた環境のために、若いときに人にたくさん会って影響を受けたり、自分の概念をぶち壊す存在に触れる機会がないのは実にキツイ。

小泉 本当ですね。私は制作に携わるようになって、若い人、次の世代を意識するようになりました。たとえば、はじめて演劇を観た高校生が「鳥肌がたった」「こんな世界があるんだ」と感想を言ってくれる。

人気脚本家の坂元裕二さんのトークショーを広島でやったときは、「坂元さんのファンで、はじめて遠くからひとりで広島に来ました」という女の子がいました。彼女にとっては、ひとり旅も含めて冒険だったわけです。そんなふうに、私たちの仕事は常に誰かの扉を開けている可能性がある。そう気づきました。

重松 若い世代に新しい価値観が芽生えつつある瞬間に立ち会っているのかもしれない、と思うことは僕にもあって、それは自分にとっても幸せなことであると同時に、大人としての責任も感じます。