イラスト:川原瑞丸
ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は、「最近の20代の男性たちがすこぶるやさしい」という現象について――(文=ジェーン・スー イラスト=川原瑞丸)

「強くあれ」がもたらしたものは

最近、20代の男性がすこぶるやさしい。5年くらい前にも同じことを感じたが、その時は、双方が互いの恋愛対象ゾーンから大きく外れた結果、肩肘を張らずにコミュニケーションできるようになったからだと思った。「大人からちゃんとした社会人だと思われたい」というほのかな欲望も伝わってきたし、彼らにも多少の打算があったと思う。

最近の20代が発するネオ・やさしさは一味違う。細やかな心遣い、家族を大切にしていること、第三者への惜しみない賛辞などを、一切隠そうとしないのだ。献身的で、人としてまっとうに、大っぴらにやさしい。

たとえば、なにげない会話でポロリとこぼした私の悩みを覚えていて、あとから解決策を提示してくれる。異性の友達が重そうな荷物を運んでいたら、茶化したりせず自然に手伝ってあげられる。

彼らの大っぴらなやさしさには、まるで照れがない。触るものみな傷つける不良が、実は路地裏で捨て猫に餌をあげているようなニュアンスは皆無。われわれ就職氷河期世代より上の男性が若かったころには、なかなか見られなかった特徴だと思う。身内の、特に女にやさしくすることなど、彼らにとってはご法度ではなかったか。

男性像、女性像のあるべき姿が強固な昭和生まれにしてみれば、女にやさしい男は下心があると冷やかされるのがオチだった。母親を大切にすれば、マザコンと決めつけられた。妻を対等に扱えば、「尻に敷かれている」と揶揄された時代の話だ。

男たるもの、女、子どもを守って養ってナンボという価値観は、男は常に弱者の上に立ち、強くあらねばならないという呪いを醸造してしまったのではなかろうか。

同世代の男性から、「可愛いものや甘いものが好きだけれど、男だからひとりでは楽しめない。一緒に店に行ってくれ」と頼まれたことが何度もある。戦うこと、競うことを善とし、やさしさを唾棄する価値観を押し付けられているのは、間違いなく男性側だ。どこでガラッと変わったのだろう。

ネオ・やさしい当事者に尋ねてみると、彼らは「草食系男子」第一世代らしい。「ゆとり教育」とも親和性が高い年代だ。個の尊重を学び、異性を獲得することだけが男の価値ではないと知った世代。

ネガティブな意味で、「いまどきの若い男の子はガツガツしていない」と語られることがある。仕事しかり、恋愛しかり。積極性に乏しいという意味だが、はたしていままで礼賛されてきた積極性は、誰を幸せにしたのだろう。一部総取りの不公平な競争システムと、異性をモノ扱いする消費文化を生んだことだけは間違いない。

20年後の日本はガラリと変わっているかもしれないと期待に胸を膨らませる一方、男社会で男から排除されないためにやさしさを手放した中高年のことを思うと憂鬱にもなる。

彼らは生まれつきやさしくなかったのではない。やさしさを用いると、男とみなされなくなる時代に生まれただけなのだ。彼らを前時代の残滓として除けものにするのは、ちょっと違う気もする。

と同時に、この件に関しては女にできることはほとんどないとも思う。気の毒だが、男同士でなんとかするしかない。


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