この日に養子縁組をしたのは、六星占術的に、細木・私・夫・3人の子ども、計6人全員の良い運気が重なる年月日だったからです。この日を逃すと12年後までチャンスがないということで、夏休み中だった子どもたちにも協力してもらい、なんとか実現することができました。

細木は、とても嬉しそうにしていましたね。普段から「いくらお金があっても、老後ひとりというのは寂しいよ。お墓の継承も気になるし」と口にしていたので、戸籍を動かしたことで安心したようでした。 

伯母というより〝ばあば〟

もともと私が育った家は少々複雑で、私が生まれた時、実母はシングルマザーだったのです。その後、年子で妹が生まれた際に、銀座にあるクラブのママとして成功していた細木が「ひとりで2人を育てるのは大変だよ。一緒に住まない?」と実母に提案。私が3歳になるまで、母子3人で細木の家にお世話になったという経緯がありました。

しばらくすると実母と私たちは実父と暮らせるようになり、細木邸から転居。新たに家族4人での生活が始まりました。ただ、私は実母より細木のほうに懐いており、時間を見つけては遊びに行き、家に上がり込んでいた記憶があります。

細木は実母の3つ上でしたが、私にとって伯母というよりおばあちゃんのような存在で、呼び方もずっと「ばあば」でした(笑)。この頃、すでに細木は実母に「かおりを養子に迎えたい」と申し入れていたそうですが、私がまだ幼かったため断られたそうです。

細木は子ども相手でも、礼儀作法には厳しかった。「ちゃんと相手の目を見て挨拶しなさい」とか「お辞儀はこうしなさい」など、けっこう細かいんですね。甥や姪は私以外にもたくさんいますが、それを煙たがってみんな寄りつかなくなってしまったくらいです。(笑)

また、ままごと遊びの延長で家の手伝いをさせるのも上手でした。たとえばキッチンの流しに私専用の踏み台を置き、食器を好きなように洗わせるのです。「何枚お皿を割られたことか……」と嘆かれましたが、だからといって叱られることもなく、楽しく家事を身につけさせてもらったように思います。

1978年、数子さんの妹の長女として誕生したかおりさん(写真提供:かおりさん)