周りの大人が気持ちを聞いてあげなかった
虐待の兆候を行政が初めてんだのは2017年7月。当時、一家はなぎさ被告の実家がある沖縄県糸満市で暮らしており、「(心愛さんが)父親から恫喝を受けている」と、母方の親族から市へ相談があったという。実は心愛さんが生まれた後、夫のDVが原因で、夫妻は一度離婚している。しかし妻が実家を出て娘とアパートで暮らし始めると、勇一郎被告は復縁を迫り、17年2月に再婚。6月に次女が誕生した。その頃から長女への「しつけ」と称する暴力が始まったとみられる。
しかし同年8月末、一家は夫の郷里である千葉県野田市へ転居。親族から相談を受けていた糸満市は野田市に対し、「夫が支配的」と伝えたものの、子どもへの虐待に関する情報は提供していなかった。
心愛さんが自ら「SOS」を発したのは、それから2ヵ月後の11月初め。転校先の小学校のいじめに関するアンケートで、〈お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり起きているときにけられたりたたかれたりされています。先生、どうにかできませんか〉と、父親からの暴行を訴えていたのだ。
心愛さんの右にはあざが確認され、千葉県柏児童相談所(以下、児相)は翌日に一時保護を開始した。子どもの安全を最優先にした迅速な対応だったが、その後、事態は暗転していく。一時保護に腹を立てた父親は学校に猛抗議。児相との面談でも、虐待を頑として認めない。12月下旬、児相は市内の父方の親族宅で暮らすことを条件に、心愛さんの一時保護を解除する。
しかし翌18年1月、勇一郎被告は市教育委員会や学校に対し、「名誉毀損で訴訟を起こす」と迫った。校長室を訪れた勇一郎被告は、心愛さんの書いたいじめアンケートを渡すよう要求。それに屈した市教委の担当者は、アンケートのコピーを渡してしまう。数日後、勇一郎被告は心愛さんを市内の別の小学校へ転校させた。
さらに2月26日、児相の職員は親族宅で父親と面会。〈お父さんに叩かれたというのは嘘です。……〉。心愛さんが書いたという手紙を勇一郎被告から見せられ、「今日で連れて帰る」と要求された。児相は「父親に書かされた可能性が高い」と疑いながらも、心愛さん本人に確認することなく、2日後に自宅へ戻すことを了承したという。
自身も児相で数多くの虐待事例を扱った山脇さんは、問題を指摘する。
「父親は虐待を認めておらず、母親もDVを受けている状況でなぜ帰してしまったのか。虐待が再発しないと判断できない限り、心愛さんを自宅に帰してはいけなかった。児相が父親の要求に応じて自宅に戻した経緯も記録に残っていないとは、本来ありえないこと。子どもの訴え自体がないことにされてしまったかのように思えるのです」
その後、児相は学校や家庭への訪問をしていない。心愛さんは転校先で父親の暴力を訴えることはなかった。だが、18年の夏休み明けに1週間登校しなかったことに加え、19年1月は冬休みが明けても長く欠席が続いた。その間に虐待がエスカレートしたとみられるが、学校は市に長期欠席を伝えたものの、「沖縄にいる」という父親からの電話を信じ、児相も安否確認をしていない。そして24日、心愛さんはついに変わり果てた姿で発見された。
「子どもはどこへSOSを出していいかわからない。いじめアンケートでやっと救われたと思っただろう心愛さんを、児相が父親のもとに帰してしまった。泣いて訴えても誰も助けてくれず、何度も絶望したことでしょう。周りの大人が心愛さんの気持ちを聞いてあげなかったことは、あまりにもひどい」(山脇さん)