「何ごとも楽しむ力みたいなものを、スポーツを通して培ってきたように思っています。」(撮影:本社写真部)
オレンジ色の衣装に身を包み、独特の喋り方とポジティブなキャラクターでブレイク。さらに甲子園常連校の野球部出身であることが話題に。プロからもスカウトを受けた実力者が、なぜお笑いの道を歩むことになったのでしょうか(構成=平林理恵 撮影=本社写真部)

スポーツで培った楽しむ力

いつも前向きですね、と言ってくださる方が多いのですが、僕自身は決してポジティブな人間ではありません。そんな僕でも前向きになれるのは、頑張っているみなさんがすばらしいからです。その姿に触れることで僕もポジティブになれる。いつも元気をもらっているんです! 本当にありがたいことだと思います。

僕は子どもの頃から野球が好きで、中学・高校・大学とプロ野球選手を目指していました。でも、才能に恵まれていたわけではなかった。不器用なので、キャッチボールができるようになるまで1年もかかったのです。でも、この経験がとても大きかった。スタートはマイナス。それが練習によって少しずつ進歩して、ようやく普通にできるゼロレベルへ。その成長の幅に喜びを感じていました。

何と言ったらいいのかわからないのですが――何ごとも楽しむ力みたいなものを、スポーツを通して培ってきたように思っています。

高校は、憧れの済美高校へ進みました。済美の野球部は練習量が全国トップクラスと言われていて、内容もとにかくハード。でも、そこでつらいと言っていたら、やっていられません。苦しいことの中にどうやって楽しみを見いだすか。僕の場合、真面目にメニューをこなせば2年で先輩たちのレベルまで行けると確信し、日々の成長を楽しんだわけです。

一人だったら耐えきれなかったでしょうね。でも、僕には気持ちを共有できる仲間がいましたから。寮で一緒に暮らして、野球部全体が家族みたいだった。相方の前田は済美の同期で、入寮した初日に知り合い、仲良くなったんです。

とはいえ野球部の部員数は多く、試合でベンチに入れるのはほんの一握り。僕は2年生からレギュラーになりましたが、そのかわり先輩の一人が外されたわけですし、背番号がもらえない同級生はたくさんいました。でも、みんな一緒に乗り越えてきたという思いを強く持っていて、チームの一員としてレギュラーメンバーをサポートし、本気で応援してくれたのです。

ところが当時の僕は、試合に出たい、速い球が投げたい……という野球への思いが先行していたのが正直なところで。応援してくれている人のサポートあっての自分だということが、本当にわかっていたとは言えなかった。