「一周忌を終えた頃には、再び新しいエネルギーが湧いてきて、今はもうそんなに寂しくはありません。こんなふうに思えるようになったのも、夫との結婚生活が本当に充実していたから」

その頃にはもう私が誰なのか、夫はまったくわからなくなっていましたし、24時間体制で介護のプロがついてくれる施設なら、万が一、夜中に何かあっても安心ですから。

夫の体力は次第に衰え、この施設で過ごすようになって半年ほど過ぎた頃、別のフロアーにある医療病棟に移ることになりました。そのときに、「胃ろうをつけますか?」とお医者様に聞かれたのですが、悩んだ末に、「延命治療はせずに、自然のままで」とお願いしました。

この施設は子どもたちの家からも近かったので、毎日のように誰かが夫のもとを訪れて、病室はいつも賑やかで。最期は子どもや孫たちに囲まれて、大好きだったフランク・シナトラの歌を聴きながら、「眠ったのかな?」と思うほど穏やかな表情でスーッと旅立っていきました。私が言うのもなんですが、本当に幸せな最期だったと思います。

夫が亡くなってしばらくは、見る景色すべてに色がなくなって、何もやる気が出ない日々を送っていました。最後は施設のお世話になったとは言え、10年近く、介護の日々が続いていましたからね。その間、どんな環境でどんなふうに生活してもらうことが彼にとってベストなのかとずっと考えていて――。夫が亡くなったことでその必要がなくなり、それまで張り詰めていた糸がプツンと切れてしまったような心境でした。

でも、一周忌を終えた頃には、再び新しいエネルギーが湧いてきて、今はもうそんなに寂しくはありません。こんなふうに思えるようになったのも、夫との結婚生活が本当に充実していたからです。

お互いにお互いのことを大切にしながら、50年間という月日を一緒に過ごしてきた。私にとっては最高の伴侶です。だからこそ介護をするのもつらくなかったし、亡くなった後も夫との思い出に支えられ、ひとりでも楽しく生きていけるのだと思います。今は茅ヶ崎の家にひとり暮らしですが、近所に住む子どもや孫たちもしょっちゅう泊まりに来てくれていますしね。