『夜のヒットスタジオ』最終回で、夫の大伴昭さんと(写真提供◎芳村さん)

さすがに、仕事で夜遅くなる日は食事の支度はできないので、あらかじめ1週間分のメニューを決めておき、料理をするのはお手伝いさんに頼んでいました。『料理天国』の仕事をしていたときは、番組で作った料理を持ち帰ることができたのでラクでしたね。普段、家では作れないようなおいしい料理も食べられたので、「みんな、(収録のある)木曜日はうちにいようぜ」と、夫も子どもたちに言っていました。(笑)

30代、40代の頃は仕事も大忙しでしたけど、それでも私が家庭の仕事をおろそかにしなかったのは、夫が「自分の女房」であることを一番に考えてほしいと思っていたからです。その思いに応えるべく、自分の仕事のかたわら、彼の仕事上のおつきあいには100%応じていました。

外資系企業のトップだったので、うちに100人以上のゲストを招いてホームパーティをすることもしょっちゅう。でも、そうした社交の場で、男社会のつきあいや、仕事上のかけひきなども垣間見ることができたので、私自身が仕事をするうえでも大いに勉強になったんですよ。

夫のほうも、私が出演している番組のプロデューサーや共演者の方たちと家族ぐるみのつきあいをしてくれて、三崎港のマリーナに買ったリゾートマンションにみんなを呼んで、毎週のようにパーティをしたり、大型ヨットを借りてクルーズを楽しんだり。確かにワンマンな人ではありましたけど、彼との生活はとっても楽しかった。

 

「あなたは、いつまでここにいるんですか?」

そんな、公私ともどもかけがえのないパートナーだった夫に認知症の症状が表れたのは、彼が80代を迎えようとした頃。それまで東京と茅ヶ崎の家を行き来していた私たちですが、70代で夫が現役を退いた後は茅ヶ崎の家で大半の時間を過ごすようになっていました。

最初に気づいたのは、ある日の夕方のこと。いつものように2人でリビングで過ごしていたら、「あなたは、いつまでここにいるんですか?」って、夫が私に言ったんです。初めは冗談を言っているのかと思い、「何言ってるのよ」って言い返したんですが、それでも真顔で「何時に帰るんですか?」と。