イラスト:石川ともこ
「片づいている」の尺度は人それぞれですが、加齢や病気のために家事や掃除ができなくなっている場合も。そして、事態が深刻化するまで周囲に気づかれないことも少なくないようです(「読者体験手記」より)

インテリ夫に手を上げられた

2年前の2月、寒い朝のことだった。勤務していた保育園の始業ベルが鳴ったにもかかわらず、理事長が出てこない。これはおかしいと、同じ敷地内にある理事長宅のベルを鳴らすと、青ざめた彼女が裸足のまま「助けて!」と駆け寄って来た。驚いて中に入ると、そこには理事長の夫が険しい顔をして仁王立ちしている。廊下は新聞紙が散らかり、その先に見える台所には割れた食器類が散乱。もう目も当てられない状態だった。

私は長らく勤めた会社を退職後、縁あって76歳から3年ほど理事長の秘書をした。そのご縁というのも、実は彼女は高校時代のわが恩師。60年ぶりにばったり再会し、人手を求めていた理事長に何度も誘われ、高齢ながら仕えることとなったのだ。彼女は高校教員を何年か務めた後、一念発起して保育園を設立。しっかりと運営されていた保育園は親からの人気が高く、経営も順調だった。

彼女の夫は大学教授で、仲睦まじいインテリ夫婦なのだが、私が再会したころに理事長はすでに93歳で、夫は90歳。聡明だった元教授は認知症になってしまっていた。この病気は、分別も穏やかさも奪ってしまう。妻のちょっとした言動に腹を立て、時には手を上げることもあったようだ。ケアマネジャーを呼んで、家庭状況を説明。夫は高齢者施設に入居することとなった。