とはいえ、彼はこれまでで最も私を苦しめた人でもあります。長男が生まれた直後、「妻が子どもにかかりきりで構ってくれない」と拗ねて、歓楽街で女性をモノのように消費。それが原因で私は健康を害し、さらに不安障害を発症し、不安定な精神を抱えたまま、仕事と子育てに身を削りました。

夫の懇願もあって離婚を思いとどまった私は、「彼があんなことをしたのも自分が悪かったから」と、ものの見方を無理やり歪めました。つらい記憶にフタをしたのですが、夫が仕事を辞め、私が大黒柱となって出稼ぎ生活を続けるなかで、精神的な限界に達したのです。

弱い立場にある無関係の女性のことは人間扱いせず、帰宅すればそしらぬ顔で妻に優しい良い夫をやっていた二面性が心底恐ろしかった。フラッシュバックに苦しみ、死を思う夜もありました。

パースに戻ったときに、夫と、当時14歳と10歳の息子たちを前に、家族会議を開きました。わが家ではもう性教育は一通り終えていて、女性の人権についても説明していました。それでも多感な年齢の彼らに対し、父親の愚行や両親の関係の危機をあからさまに示すという、かなり酷なことをしたと思います。私は、単なる家庭内の不祥事ではなく、父親の行為は女性蔑視であり、それに無自覚であってはいけないことをどうしても息子たちに伝えたかったのです。

彼らは懸命に考えたうえで「それでもパパが好き。家族の形はこのままがいい」と言いました。しかし夫はうなだれて「うまく言えないんだ」と言うだけ。私は深く絶望しました。そして、子育て終了後の離婚を念頭に置いて今から準備を進めよう、と心に決めたのです。

2年かかって夫がエア離婚に同意しても、私は彼に問い続けました。なぜあんな、女性をモノと見なすような行為ができたのか。夫の答えは「若い頃によく見ていた深夜番組のせいだと思う」。絶句しましたが、日本の多くの男性の実感かもしれません。差別感情と向き合おうとしない男性が息子たちを日々養育していることに危機感を覚えました。家族会議をした以上は、夫が自らの過ちから学んだことを息子たちに語るのが重要だと思いました。