「もっと《大らかな》妻だったら、ここまで思い悩まず、自分も夫も楽なのでしょう。でもそれでいいのか? と思うのです。」

ここ数年、何度夫とこの話し合いをし、どれだけの参考資料を送ったことか。けれども彼の反応は通り一遍の「読みました」とか、「申し訳ありません」。謝罪のことばではなく、あなたの考えが聞きたいのだと言い続けました。

コロナ禍が広がる直前の今年の1月、一家でタスマニア島に旅をしたのですが、二人でいるときにその話になり、夫は「まだ考えがまとまらないんだ」と逃げました。「16年も経つのに? 考える勇気がないんでしょう。そんな人は尊敬できない。お願いだから離婚して」と突きつけたら、彼はポロリと涙をこぼしました。胸が痛んだけど、なし崩しにしたくはありませんでした。

そうして苦しい気持ちを抱えて東京に帰ってきて、パンデミックで家族に会えなくなったのです。

はじめて理解してくれた

ところが半年近くが経ったとき、夫に変化が表れました。7月に、アメリカの女性議員オカシオ・コルテスが、彼女を議場で公然と侮辱した男性議員の「自分には妻や娘もいる。女性差別主義者ではない」という弁明に敢然と反論。「あなたがしたことは、自身の妻子を含むすべての女性への性差別を容認する行為だ」と理路整然と述べ、支持を集めました。

そのスピーチの動画を夫に送ったら、初めて真っ当な返事が来たのです。「自分は無知だった。自分の行為を正当化して、女性差別に加担していたことが、よくわかった。息子たちにも話す」と。

驚きました。やっと理解できたのか。それならと、男性が書いた「男らしさの呪い」についての記事を送ると、また自分のことばで感想が返ってきた。嬉しかったです。私は夫が内省から逃げ回って、何も学ぼうとしない姿勢がイヤでたまらなかったんだと気がつきました。

もちろん、これで一気に「じゃあエア離婚も解消ね」とまではなりません(笑)。ただ、変わっていく彼となら生きられるかもと思ったのは事実です。