「子育てユニットとしての役割が終わったら、解散の方向でいこう。その予定だったのが、コロナ禍にあって私の中にほんの少し、変化が生まれました。」(撮影:清水朝子)
家族が暮らすオーストラリアに帰ることができないまま10ヵ月。長男の卒業式に出られず、次男には身長を抜かれた。コロナで会えなくても、家族は成長する。ならば、「解散」を宣言した夫との関係はどうか──(構成=田中有 撮影=清水朝子)

存在の大きさに気づかされた

家族と暮らすオーストラリアのパースと東京を行き来して、6年になります。これまでは2〜3ヵ月ごとに往復していたのが、新型コロナウイルス感染症の影響で、今年の1月からずっと東京暮らしです。その間に長男は高校を卒業し、中学3年の次男は、私を追い越すほどに背が伸びました。息子たちや夫とは、もう10ヵ月近くビデオ通話だけのやりとりに。「大変だけど、みんなで一緒に乗り越えよう」と、移住したばかりの頃のように鼓舞しあっています。

ただ、夫と私は2年前から「エア離婚」状態にあります。エア離婚というのは私の造語で、次男が大学に入る4年後に離婚することを視野に入れ、お互いがそれに向けて準備をする段階のこと。現在は私が経済を支え、夫が家事と子育てを担当する役割分担が実によく機能しています。

子育てユニットとしての役割が終わったら、解散の方向でいこう。その予定だったのが、コロナ禍にあって私の中にほんの少し、変化が生まれました。自分が、そして夫が、コロナで死ぬかもしれないとリアルに想定したら、思った以上に私にとって夫の存在は大きなものなんだな、と気づいたのです。

「エア離婚」の奥にある深い溝

そもそも、「こんな人とは老後を過ごせない」と私からエア離婚を突きつけはしましたが、夫は気持ちの安定した、穏やかでとても優しい人です。出会って20年、私がどんなに辛辣に言いつのっても決して激昂しません。息子たちも「パパは一生懸命、僕たちの面倒をみて家のことをやってくれるよ」と言います。

もし今、彼と死別してしまったら、もう子どものこまやかな思い出を話しあえる人はいないのです。家族として、私はあまりにも多くのものを彼とシェアしてしまっていました。