「日本に暮らして日本に根づいているのに、なぜ社会の一員として認められないのだろうかという、言葉の壁を越えた先にある心の壁があまりにも高すぎる。」(田中さん)

言葉の問題で親子関係に亀裂が生じてしまうケースも

田中 また、桃嘉のように日本で長く暮らし、日本語を読み書きできる子は、親の言葉である母語を発達させるのが難しいことが多いんです。母語がわからないまま、親と自分の言葉が違う環境で暮らすことになるため、葛藤が生まれてしまう。言葉の問題で親子関係に亀裂が生じてしまったケースも見てきました。日本語でのコミュニケーションがうまくいかないため、親子げんかも過度に発展してしまうことがありますしね。

 子どもにとっても親にとっても、互いに言葉が通じないのは非常に苦しいことです。また、子どものほうが日本語の上達が早く、そのせいで文化や言葉の違う異国で奮闘するお母さんを幼い子どもが支えなければいけないこともあったり。

田中 私の祖母も日本語を母語としない外国出身者で、たどたどしい話し方をしていたんです。当時の私は祖母をけむたがってうまく関係が築けなかった。それが解消されないまま亡くなってしまったので、後悔が残っています。

 私も身に覚えがあります。いつまでたっても日本人のようには日本語を話せない外国出身の親を持つ子どもたちに、そのことを恥ずかしいと思わせる空気が、20年、30年後にはすっかり薄れてほしいなと思う。

田中 日本には今もまだ、親や自分自身が外国人であることを恥ずかしいと感じさせられる現実がありますよね。「お前の母ちゃん、外国人だろ?」「日本語おかしいな」「だから頭悪いんだろ」などの言葉を投げかけられれば、子どもたちは外国にルーツがあることを誇れるわけがない。でも、「すばらしいね」と言ってもらう必要もないんです。

 普通にいさせてほしいだけなんですよね。

田中 ほかにも、お母さんが作ったお弁当が日本風じゃないからと、学校では隠して食べなきゃならないなんてことも。なぜそうしなくてはいけないのかといえば、「違う」ことに対して、強烈な違和感を抱く日本人の子どもたちが異端を排除するからです。

 たぶん日本人の子どもたちも、必死なんでしょうね。それほどこの国の同調圧力は強い。今は大人もほとんど余裕がないから、日本社会はどんどん異物を排除する方向に向かっていますよね。

田中 そのしわ寄せが、より弱き者に向かってしまう。日本に暮らして日本に根づいているのに、なぜ社会の一員として認められないのだろうかという、言葉の壁を越えた先にある心の壁があまりにも高すぎる。それが海外ルーツを持つ人たちの前に何重にも立ちはだかっています。