「うっかり差別をしてしまったとしても、それでおしまいではなく、ちゃんと取り返しはつくんだということを強調したいなと思うんです。反省して、繰り返さなければいいのだから。」(温さん)

間違えて言ったものは正していけばいい

 以前、私の本を読んで「中国の女性と結婚した甥の一家を思い出した」とおっしゃる方がいました。『婦人公論』の読者にも、親族に外国出身者がいるという方がいらっしゃるかもしれませんね。別の文化を携えている人が身近にいるのは幸運なことです。自分の「普通」が誰にとっても普通とは言えない、ということに気づけるチャンスですから。

田中 今は技能実修生の方を中心に、地方のほうが海外にルーツを持つ人たちの急激な増加を実感することは多いのではないでしょうか。そうしたなかで、たとえばコンビニで働く留学生に声をかけてみてはどうでしょう。出会うこと以上に、気づきをもたらすことはありませんから。その時に「あの人は〇〇人」じゃなくて、「コンビニで働く〇〇さん」と、名前で出会うのが大事だと思います。

 名前はその人が生きている、その人と出会っている自分を意識するキーワードになりますからね。名前と向き合うって、個々の人間がこの場で共に生きる意思表明として大事なことだと思います。

田中 本当にそうです。

 それと、うっかり差別をしてしまったとしても、それでおしまいではなく、ちゃんと取り返しはつくんだということを強調したいなと思うんです。反省して、繰り返さなければいいのだから。むしろ、差別者呼ばわりされたくないあまり、自分が差別なんかするはずない、とか、あんなのは差別とは言えない、と突っぱねるとかえって話が進みません。

田中 差別してしまう可能性のある自分を意識することは、大事なことですよね。支援者の方に「『外人』って使っていいの?」「『ハーフ』って言っていいの?」とよく聞かれますが、「本人に聞いてみてください」と言います。「外人」はもう一般的に使いませんが、「ハーフ」「ミックス」「ダブル」など、その人が自身をどう思っているのか、呼ばれたいかを聞けば間違いないですよね。いわゆるダブルでも、当人は日本人だと思っている子もいるし、それぞれに考え方がありますから。

 名前で呼ぶのと同じですね。

田中 聞いて怒られたことはありません。なんでも十把一からげにするよりずっといいですよ。

 「ハーフ」にしろ「ダブル」にしろ、絶対に正しい言い方があるわけではない。それ以前に、「〇〇人」とか「日本人ではない人」といった調子で、目の前にいる生身の人を雑に括ることのほうが問題ですよね。やはり出身国やカテゴリーなどではなく、名前のある人として目の前の人と向き合おうとする態度を保つのが何よりも大事な気がします。

田中 一朝一夕には変わらなくても、海外にルーツを持つ人に出会った時に親が前向きに捉えて、子どもに伝えることでも変わっていけると思います。

 そうですね。