痛みを引き継がずにバトンを渡していく

田中 海外にルーツを持つ子どもたちは、「お前は普通じゃない」という声に出会うと、「普通って何だろう?」と考える前に、普通じゃない自分をなんとかしようとして親を恨む方向にいきやすい。それを「そうじゃないよ」と言って支えてくれる学校の先生とか、日本語ボランティアに出会えることは大きいと聞きます。

 確かに悩んでいる時に、「あなたはあなただから」と言ってくれる人がいるのはすごく大きいです。

田中 「今は迷っても、違う世界が待っているよ」と言ってくれる、アライ(味方)が増えていくことが大事ですね。それと、前向きなメッセージを世の中全体が発信していくことも重要。たとえば最近のバービー人形は、体形もいろいろで、肌の色が違ったり、車いすに乗っていたり。私たちが生活するなかでなんとなく受け取るメッセージに多様性があるのが望ましいと思います。私は強烈な変革より、じわじわと30年後を見据えて変化を起こしていきたいです。

 おっしゃるとおりです。もっといろんな《普通》が世の中に溢れていてほしい。何しろ私は、とにかく《普通》の日本人になりたくて仕方なかったんですよね。自分が普通じゃないなら、普通にならなくちゃ、と。でも、そうやって自分で檻を作っていただけでした。いろんな《普通》があると知った今は、見えない檻の中で誰かが息苦しそうにしていると、そこから出たらもっとラクになれるよ、と言ってあげたくなる。

田中 いろんな人に出会えば出会うほど、自分は檻の中にいたんだなとわかりますよね。日本の女性も同じだと思うんです。私もそうですが、女性は結婚して名字が変わったり、夫の家という異文化に接触したり、妻や母という役割で生きていくことが多い。そのなかで「自分は誰なんだろう?」とアイデンティティが揺らぐ経験をなさっている方も少なくないですよね。だから、何かきっかけがあれば、気づきが起こりやすいと思います。

 複数の役割を必死で生きるうちに本当の自分がわからなくなって苦しい、といったアイデンティティ問題って、案外、誰もが少しずつ経験している。でも、自分が我慢すればいいんだと思わないで、声に出すことで自分と同じ境遇の人や、次の世代がラクになれると信じて変わっていきたいですよね。

田中 はい。痛みを引き継がずに、前向きに次世代にバトンを渡していくことが大事だと思います。

 ほかの人たちが手放そうとしない痛みを、自分まで抱え込むことはない。そのほうが自分を縛っていたものから自由になって、今よりも見晴らしのいい景色が見えるはずです。

田中 それが自分の名前で生きていく、ということですね。私は日本代表じゃないですから。

 〇〇の妻とか△△ちゃんのお母さんじゃなくて、自分自身を代表すればいいんですよね。そうしたら他人のこともむやみに大きな主語で括らないはず。自分を尊ぶことができれば、他者を尊重できると思うんです。