写真を拡大 2020年のお正月、和泉流宗家敷舞台に一家そろって(写真提供◎和泉流宗家)

外からの風により、内側の結束が強まった

かつて和泉家がなぜメディアを賑わせていたのか振り返ってみた。元彌さんの父・十九世宗家の元秀さんは狂言界の第一人者として活躍していたが、1995年、57歳という若さでこの世を去ってしまった。当時、元彌さんが21歳と若く、大河ドラマの主演やCM出演など、多忙でアイドル的人気を博していたことが襲名に災いする。

弟子家の一部が、若い元彌さんは後継に相応しくないと反発。当時、歯に衣着せぬ発言も多かった節子さんがメディアに出ていたこともあり、バッシングは苛烈を極めた。

元彌さんはこう振り返る。

「自分たちのことを事実無根の内容で批判してくる人たちがいましたけど、相手の間違いを指摘することはせず、自らの主張を繰り返すようにしていました。後になってワイドショーのスタッフさんからは、『(面白おかしく報道することはたやすく)赤子の手をひねるようでしたよ』と言われて愕然としました。喋れば喋るほど素材が集まって、勝手に編集されてしまうんだと気づくのに時間がかかったのです。マネージャーでありスポークスマンであった母が表に顔を出していたため、裏方コメントのつもりで言ったことが報道され、炎上したことも。あの頃は外からの風当たりが強かったぶん、内側の結束は強くなったと思います」

節子さんは、「叩かれづめで、蹴飛ばされても、(マネージャー業を)続けていました。悪いことをしたわけでもないのに、メディアの方から『これは禊です』と言われたり」と悔しかった胸中を語る。しかし節子さんは、和泉家が扱われたテレビもスポーツ紙もチェックしていたというから心臓が強い。