本当の意味での「生きている」

3、4年前(大雑把ですが)、友達と麻雀していた時、「末井さん、今いくつ?」と突然聞かれて、「36歳」と答えて、みんなが唖然としたことがありました。意識が麻雀牌に行っていたので、それは無意識から出てきた言葉です。ということは真実の言葉に近いはずなので、自分では実年齢より30ほど若い気でいるのかもしれません。

人から「末井さんは何歳まで生きようと思う?」なんて聞かれたことも何回かあります。「それは自分で決めることじゃないから」と答えていますが、ごまかしているわけではなく、「それは神様が決めてくれること」だと思っているので、全く考えたことがなかったのです。

「人は生まれた瞬間から死に向かって歩んでいる」とか言う人がいますが、そう思って生きていても楽しくないでしょう。ぼくは死に向かうことが嫌だから、いつも死に背を向けて、死のことは考えないようにしています。

死のことを考えると、死に支配されたような気持ちになって元気がなくなります。嬉しい時や楽しい時は、死のことは思い浮かびません。そういう状態が永遠に続けば、死に支配されることはなくなります。そうなれば、肉体的な死が訪れても恐怖や不安はなくなるのではないでしょうか。

芸術家が、どんどんイマジネーションが湧き出して、眠ることも忘れて作品作りに没頭している時など、死の入り込む余地などありません。それが本当の意味での「生きている」ということなのかもしれません。

唐突な話ですけど、ぼくが小学校1年生の時、母親が隣家の若い男とダイナマイトを爆発させて心中しました。そのことは、『素敵なダイナマイトスキャンダル』(ちくま文庫)という本に書いたり、その本が冨永昌敬監督によって映画化されたりしたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。ダイナマイト心中なんて滅多にないことですから。

『素敵なダイナマイトスキャンダル』末井昭・著 ちくま文庫

母親の心中のことは、ぼくに大きな影を落としているのですが、自分の中に拭い去ることの出来ない虚無のようなものが潜んでいるのも、母親のせいかもしれません。何か楽しいことをしていてもすぐに虚しくなってしまうのです。