ところが、いまの日本の知識人は信者ばかりを集めています。そして論壇誌に寄稿したり記者会見を行なったり、派手なパフォーマンスばかりをしている。いまの日本には、もっと地味に啓蒙をする知識人が必要です。そのためには、もっともっと無駄で親密で「危険」なコミュニケーションが必要です。「誤配」と呼んできたものは、つまりは啓蒙のことなのです。
震災後、ぼくは哲学には社会的な役割があるのではないかと考えました。その過剰な気負いからゲンロン第1期の空回りが始まったわけですが、さまざまな紆余曲折を経ていま思うのは、啓蒙=誤配こそがぼくとゲンロンのこの時代における使命だったのではないかということです。まわりを見渡しても、だれも似たことをやっていないので、最近はますますそう思っています。
欠点だらけの試行錯誤の先駆者として
ぼくにはあまり熱狂的な信者はつかないのかもしれません。偉大だとも思われないのかもしれない。
けれども、これから10年後、20年後、「あのころ東浩紀がやっていたことはまちがいも多いけれど、そうそうバカにできないな、なんだかんだいっても尊重しないといけないな」と思ってくれるひとが多ければ、それで「啓蒙」は成功なのだと思います。右派からすればぼくには責任感が足りないのだろうし、左派からすればぼくには行動が足りないのでしょう。けれど、それでも両方の側が、欠点だらけの試行錯誤の先駆者としてぼくを見てくれるのであれば、それこそがぼくがやりたかったことです。ひとの人生には失敗ぐらいしか後世に伝えるべきものはないのですから。