本来は自分で摘んでくるもの

今は、正月の期間中、スーパーなどで七草粥のセットが販売されている。そのなかには、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろの七草がすべて揃っている。

だが以前は、七草はスーパーでセットで買うものではなく、自分で摘んでくるものだった。1956年に刊行された植物学者の牧野富太郎による『牧野富太郎自叙伝』では、次のように書かれている。

「(中村春二)先生病重しの報を聴き、私は先生を慰めんものと、正月の一日鎌倉に赴き、春の七草を採集し、これに名を付し、籠に盛って差上げた所へ先生は非常にこれを喜ばれ、正しい春の七草を始めて見たと言われ、七草粥にする前に暫く床の間に置いて楽しまれたということである」

食べるということが重要であるなら、七草を採集しようと、スーパーで買ってこようと、格別そこには差はない。それに、現在の都会では、七草を採集することなどできるわけがない。しかし、七草がただの商品になることで、そこにあった情緒が失われたことも事実である。現代の日本人は、健康にいいというだけで、サプリメントのように七草粥を食べているのかもしれない。