田の神も山の神も都会にはいない

しきたりが栄枯盛衰をくり返していくのは、それだけ、私たちの生活が変化していくからである。とくに最近はその変化が著しい。生活が変われば、従来のしきたりは続けられなくなったり、意味を失ったりする。

たとえば、これまでは、日本人の信仰の中心は先祖崇拝にあるとされてきた。その役割は仏教が担ってきたことになるのだが、柳田國男は戦後すぐに刊行した『先祖の話』のなかで、それを神への信仰と結びつけた。

柳田は、父親の影響もあり、「仏教嫌い」で、日本の伝統的な信仰が、仏教の影響なしに成立したことを理論的に説明しようと試みてきた。その集大成となるのが、『先祖の話』で、そこで柳田は、先祖の霊は、仏教において説かれる西方(さいほう)極楽浄土のような遠いところに行ってしまうのではなく、近くの山にいて、冬の期間には山の神となって子孫を見守り、春になると里に降りてきて、田の神として子孫の経済生活を支えるのだと説いた。

柳田が『先祖の話』を刊行するまで、日本の社会に、そうした考え方がはっきりと存在したかどうかは分からない。だが、柳田説にはかなりの説得力があり、それ以降は、この説に従って、日本人の先祖崇拝、日本人の宗教観が説明されるようになっていった。

『神社で拍手を打つな! -日本の「しきたり」のウソ・ホント』(島田裕巳:著/中公新書ラクレ)