2013年、チェルノブイリ取材に向けて荷物を積み込む東浩紀(左)と筆者

それは困る、続けるべきだし、続けたい

大学在学中はバイトとして働き、2012年の春から社員になった。色々あった。『ゲンロン戦記』に書かれているのはほんの一部にすぎない。とんでもない迷惑をかけたことも一度や二度ではなく、なかば強制的に配置換えされたこともある。その間、ぼくより先にいた先輩社員はみな社を離れ、それどころか後輩もどんどんいなくなった。現代表の上田洋子だけが例外で、東と頻繁に意見が食い違いながらも(だからこそか)、ゲンロンの中心を担うようになった。浮き沈みはあったけれど、出版点数は積み重なり、ゲンロン友の会の会員も、ゲンロンカフェの来場者も、番組視聴者も増えていった。

2018年には、過去とは質の違う危機が訪れた。社内で分派活動が起こり、社への不満がよく聞かれるようになり、ついには多くの社員が立て続けに離職を申し出た。そしてなにより東が継続の意志を失い、解散を口にするに至った。ここまで解散の危機は一度ならずあったが、傷の深さが違った。こっそり雇用保険のシステムについて調べ、転職までしばらくクイズに没頭できるだろうかと考えたこともある。

この時期はとにかく不安定だった。『ゲンロン戦記』には、「ゲンロンの迷走には社員全員がうんざりしているだろうと予想していた」「ぼく(東)が『やめよう』と言えば『しかたないですね』と同調するひとが多いと思っていた」とある。たしかにうんざりしていた。同調することだってありえたはずだ。

東に呼び出され、自分には自分の人生があるし、上田にも、徳久にも、それぞれ大切なものがあるはずで、ゲンロンを続けるのは全員にとってマイナスだと言われた。しかしぼくは迷いなく、それは困る、続けるべきだし、続けたい、と答えていた。