シンキングタイムはぎりぎりまで使うべき

誰しもテストのときに、最初に思いついた答えを信じるか、途中で抱いた違和感に従い答えを変えるか、迷ったことがあるはずだ。信じてよかったこと、裏目に出ること、どちらも経験があるだろう。ぼくはふつうのひとよりずっと多く、問題を出され、答える、ということを繰り返してきた。その経験から言えば、シンキングタイムはぎりぎりまで使い、自問自答を重ねるべきだと思う。

『ゲンロン戦記――「知の観客」をつくる』東浩紀・著/中公新書ラクレ

ただ、クイズでは、ほんとうにときどき、なぜかぱっと答えが思い浮かび、それが合っているという確信を持てることがある。どこで知ったのか覚えていないことを、根拠不明のまま口にして、正解だということがあるのだ。不思議なものだが、過度の集中状態に入れたとき、そういうことがときどき起きる。合理的に考えれば、その瞬間に至るまでに、いつの間にか必要な情報を仕入れて、無意識のうちに処理し、問題文と結びつけて答えを出しているのだろう。いうなれば、十分準備ができているときにだけ訪れる瞬間だ。自分がそれを知っていると自覚していなかったようなことを、問いを向けられて急に答えられるとき。こういうときが一番強い。

シンキングタイムはクイズ以外の多くの頭脳スポーツ(この言い方は好きではないけれど)でも、重要な役割を持っている。ご存じのとおり、将棋や囲碁、チェスでは持ち時間の設定や使い方がストレートに勝敗を左右する。

早押しクイズが得意なわりに、ぼくは相当に優柔不断で、なにかを即断即決することが苦手だ。飲食店で注文が決まるのはテーブルで最後だし、マクドナルドでは逡巡しすぎて店員さんを困らせることが多い。シンキングタイムを決めてもらえればそれまでに答えを出せるのだけれど。仕事でも同じで、決まりきったことについてはシステム的に判断できるものの、新しい局面にさしかかると途端に決められなくなってしまう。