父の一生は盛大な炎をあげるキャンプファイヤーみたい、と私は思っていました。いつも人が集まって、歌って話して温まって、花火も上がるしご馳走も出る。ですが、中心にいて炎をあげる父の周りは、なぜか人がいない。

父は本当には、人に近くに来られるのが好きでなかったと思います。それに気づかず近づく人がいると、家族は両方に気をつかってハラハラしてしまう。にぎやか好きで人嫌い。私たち兄弟姉妹の間での定評でした。

そんな風で、父には心の通じあう友人は案外少ないと見ていたもので、父の発病や死にあたり、多くの人が心から心配し泣いて下さったのを見て、ちょっと意外でもありました。

まあ、父は「人のことは大嫌い」の反面、一つ心から感心する点を見つけると、それだけでその人の全面を認める、というところもありましたから、外目には交流の形になっていなくても、実は当事者同士は深く心で交流していた、というような人がたくさんいたのかも知れません。

 

「あなたの感覚はみんなお父様ゆずりね」

父も、ここ20年ぐらいで、ひどく変わりました。前は、ずいぶん冷淡なところのあった人だったと思うのですが、気難しさや激しさは、それなりに死ぬまで持っていたのに、この冷たさはすっかり感じなくなりました。

代りに辛抱強そうな苦みのような表情がいつも滲むようになり、遺影に使われた写真の笑顔にも、その苦みが感じられて、一家の主を亡くした家族が仏壇のお線香が切れているのにも気づかずに、雑用に追われてドタバタ騒いでいるのも黙って許してくれるように見えるのです。

「まあ、いいだろう、仕方がない」