井上靖さん

親が有名人となれば、娘もそれなりに言われます。「お父さんが有名人だからって……」から始まり、婚期を逸しそうな頃には「無理ですよ、お父さんのような方を探そうったって」。「あなたの感覚はみんなお父様ゆずりね」と、私の存在などまるで無視のものまで。しかし、私からみればどれもピントはずれ。

小学生の頃、何かの新聞に、「私のお父さん」というシリーズがあり、それに私も書かされることになりました。「私は自分のお父さんを好きだか嫌いだか分かりません」。この出だしを今でもよく覚えているのは、子供ながらに非常に困り、気をつかった文章だったからです。100パーセント嫌いと分かっている人のことは、どんな風に書けばいいのかしら、と。

結局、ありありと「父が嫌いです」と読み取れる作文に困った編集者が父に相談したところ、父はそのままでオーケイ。ただ「電話が鳴っても取ろうとしない。その場にいるのに居留守を使う」という箇所だけは、さしさわりがあるから、と削ったと聞きました。でも当時私が知っていたのは、父が直接私に、君の作文はよく書けている、と褒めたことだけでした。

結婚について言えば、父のようでない人、両親のようでない夫婦。これだけは、はっきりとした私の基準でした。家庭から私が見ていた父は、短気で我がままな気分屋でした。

子供については病的なほどの過保護で、叱るというよりいつも怒っている人。飛び立とうとする雛鳥を飛び立たせまいと押し止め、それでも飛びそうとなれば、雛の羽を折り曲げてでも翼の下に入れようとする親鳥。育てられた側からみると、そんな印象を受けています。

自分が野育ちで自由だった分だけ、自分の子供を自由にするのが恐かったから、と後で父の弁解を聞いたことはありますが、私にはよく理解できない気持でした。