発掘される年代物の衣類と大量の粗大ゴミ

いちばん古かったのは祖母の代から使っていた腰巻きで、およそ100年前の代物でした。父に「着物だけは捨てないでやってくれ」と言われたため、ひとまとめにしてとってあります。

50年以上も昔に私が着ていた、小さなワンピースも出てきました。2階にある6畳のロフト部分には、これまた母の服が100着ほど。

私は週に1度、掃除や洗濯、料理といった身の回りの世話をするために父のところへ行き、家事が終わった後の時間を片づけに充てていましたが、それだけではとても足りません。土日も通わざるをえなくなりました。

最初のうちは、両親が暮らす市のゴミ出しルールがわからずに苦労したものです。一度に捨てられる粗大ごみは10個までという決まりがあり、何度も何度も市のセンターに電話して引き取りに来てもらいました。応接セット、長いす、戸棚、三面鏡、衣装ケースなどなど……。

押し入れいっぱいの布団は合計30枚。あまりにも頻繁に回収してもらったため、市の担当者には「まだ続くんですか?」と心配され、お隣さんには「お引っ越しするの?」と怪訝な顔をされる始末。

元気な頃の母は油絵や水墨画を描き、婦人講座にも通うという多趣味な人でした。けれど、認知症の進行によって、ゴミの仕分けさえもできなくなっていったのでしょう。牛乳瓶や惣菜の容器、壊れた瀬戸物などが庭に捨てられているだけでなく、時には埋められているのを発見することもありました。

車庫は何十個もの植木鉢で埋め尽くされ、足の踏み場もない状態。私が土を捨てたり植え替えたりし、鉢も30個以上は捨て、ようやく下のコンクリートが見えてきたほどです。