選んでいない人間関係

娘が幼稚園に入る時には、すでにうちは娘と2人暮らしだった。娘のパパや、パパ方の親戚、わたしの実家など、頼るところはあるが、今日明日を助けてくれるのは、やはりママ友たちだった。

たまたま同じ時期に母になり、たまたま同じ地域に住み、たまたま同じ学校で出会った。娘を中心に知り合っている人たちなので、突き詰めれば、わたしの意志ではない部分で知り合っている人たちでもある。

本連載がまとまった青木さやかさんの著書『母』

メディアから流れてくる「ママ友」というものは、わたしに、あまりいい印象を与えなかった。おそろしい世界が広がっているのかもしれない、と思った。

もちろん育ってきた環境も仕事も年齢も違う。わたしが選んだ友人ではない。だから、一つの問題が起きたときの捉え方や対処の仕方はそれぞれで、度肝を抜かれることもあった。わたしとは違うな、と思うこともあった。

だけど、子どもを育てていく過程で、わたしは学んだ。

「個性」「自己肯定」「共生」

幼稚園や学校で、そして娘の同級生と接することで実感した。わたし自身、みんな違ってみんないい、ということを学び、生き直しているような貴重な時間だった。

親になって気づいたことがある。自分を大切にしていないわたしには、自分の一番大切な娘を、大切にすることがとても難しいのだ。

わたしは、わたしを、いつも傷つける。

娘を愛して受け入れるには、まずは自分自身を愛して受け入れるのが先だと気づいた。そこに気づけたのは、そして、それにチャレンジしようと思えたのは、ママ友という存在が大きい。悩みを吐露する相手というよりは、同志のように、自分と子どもと心と、いろんなものと向き合っている姿をみせてくれた。

たまたま知り合ったママ友たちは、誰だって初めての経験をしている母親として、もがいて笑って泣いて立ち上がる姿をみせてくれた。3人目の子のママともなると、「猛者」のようで、腹が据わっている風格さえ漂った。まわりにさまざまな同志がいることは、勇気になった。

みんな、色々、あるわけで。多分。

多くを語ってきたわけではない。だから想像に過ぎないけど。

娘に「みんなそれぞれだからね」と伝えていきたいわたしが、誰かを否定する生き方は、もうしたくないなと思う。たとえ自分と考え方が違っても。たとえ、自分を否定されたとしても。

それぞれ思い思いの場所で過ごす娘と猫たち