ニューロダイバーシティという考え方

小島 今私が住んでいるオーストラリアでは発達障害に関してもオープンで、公立のハイスクールでも、発達障害がある子はテストの時間をプラス15分もらえます。それに対して、誰も不平等だとは言いません。目が悪いから眼鏡をかけるのと同じ、という認識なんですね。

岩波 一般に欧米の学校は個別指導が徹底していて、日本みたいに画一的に授業をやるのは明らかに時代遅れになっています。帰国子女の方がよく言うのは、外国の学校にいた時は普通だったのに、日本の学校に入ったとたん不適応になった、と。

小島 学校と専門家の連携ができていて、診断がついたら、その子に合った学習方法を指導してくれるクリニックもある。日本みたいに、親が右往左往することは少ないと思います。

岩波 発達障害の人に聞いてみると、小学校でいじめられた人が3分の1から半分くらいいる。だから学校が抱えるいじめの問題を減らすためにも、こういう分野をしっかり考えていく必要があります。日本社会は画一性を求める傾向が強いので、個性のある人間が排除されるようなところがありますから。

小島 日本は「察する」ことに重きを置く文化だと言われていますよね。夫には「察しろというのは私にとって暴力なんだよ」と言っています。

沖田 察するとか、無理無理! ただ、ほかのことは何もできないけど、自分の専門分野だけは優れているという人も多いですよね。

岩波 歴史に名を残すような偉人たちが、ADHDやASDの人であるケースは多いです。ただ当事者のご家族の中には、うちの子は発達障害だけど、特別な能力もない。だから、褒めるような言い方はしないでくれ、という意見の方もいます。

小島 それはよくわかります。症状は人によって幅がありますし、表れ方も違いますから。最近欧米では、発達障害をニューロダイバーシティ(脳の多様性)と捉えようという動きもあります。だから決して単純化はできない、ということを理解してもらいたいなと思っています。