なぜ500人もの命が失われたのか
現在、団体には20~60代の男女12人が勤務。採用で意識したわけではないというが、地元で被災した人やしなかった人、Uターン者から移住者、福島県浪江町の出身者もいる。その多様性が、被災地の複雑な感情を丁寧に包み込み、地域に密着した活動を可能にしてきたのかもしれない。
彼らが主に活動するのは、500名もの人々が犠牲になった南浜門脇地区。今春、この場所に復興祈念公園と震災遺構が完成する。しかし中身は国営、県営、市営と複雑に管轄が異なり、全体をつなぐ機能の実現が難しく、祈念公園では防災教育を実施しないことがわかった。
そこで、地区全体で修学旅行生などの受け入れを行ってきた彼らが、その役割を担おうと決意。震災の教訓を伝える映像や子ども向け防災教育コーナーを備える自前の伝承館「MEET門脇」を建てることにしたのだ。整備費用約9000万円のうち、建設開始時に調達できたのは半分。残りは借金として背負い、寄付金や入場料、物販の売上などで返済していく計画である。
「現地で聞き取りをすればするほど、ここは、少し歩けば高台があり、多くの命が助かったはずの場所だということがわかってきました。でも実際は500名も亡くなってしまったんです」と中川さん。同じ悲劇は次の災害でも、各地で起こってしまうだろう。しかし人の意識が変わり、瞬時に「逃げよう」と判断できれば、まったく違う結末を生み出すことができる。
「東北の経験が活かされず、未来がまた同じ結果だとしたら、あまりにも悔しい。だから伝え続けなければいけないし、人の意識を変えようと、懸命に話してくれる語り部さんたちを支え、活動を継続させていかなければいけません」
次の災害では、すべての人に「逃げて助かった」「生きて会えた」と言ってほしい。伝承館の新設は、そのための布石だと話す。