今回目にしたのも、その類の使われ方だった。若く美しく聡明で、多くの人から支持される女性の活躍を、卑屈に妬んでの暴言だった。
みっともないと思うと同時に、女の美しい容姿はそれだけで価値があるように扱われながら、その実、好ましい控えめな行動も込みであるという風潮が、根強く残っていることに落胆もした。男には男の圧があるだろうが、少なくとも「勘違いブ男」とは言われないだろう。
と同時に、最近「美人すぎる〇〇」という惹句を見かけなくなり喜びも感じる。これは「美人は能力が乏しい」「美人は容姿のみを武器にする」という前提が共有されていないと効かない言葉だからだ。
言葉には流行り廃(すた)りがある。何気なく使われ続ける言葉から、社会や人が透けて見える。私の目の黒いうちに、「女々しい」が消える日は来るだろうか。いまはそれが待ち遠しくてたまらない。
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年齢を重ねただけで、誰もがしなやかな大人の女になれるわけじゃない。思ってた未来とは違うけど、これはこれで、いい感じ。「私の私による私のためのオバさん宣言」「ありもの恨み」……疲れた心にじんわりしみるエッセイ66篇