鼻水をすすりながら家まで歩いて帰る道すがら、心の底から思った。
「俺はいったい何をやってるんだ……」
二〇一一年夏、私は出口の見えない闇の中にいた。
だが、人生とは面白いもので、そんな私に救いの手を差し伸べる二人の物好きが現れる。
一人は“新宿二丁目のオカマ”、そしてもう一人は“由緒ある寺の坊主”だった。
1) 私、トリケラと申します
人恋しくなるとついつい墓場を訪れてしまうのは、子供の頃からの癖である。
私が三歳になる少し前、二つ年上の兄貴を連れて母は家を出て行った。離婚の原因は教えてもらっていないが、とくに知りたいとも思わない。明らかにしたところで母親が戻ってくるわけでもない。かといって母親のことを恨んだりはしていない。たとえ恨みたくても、顔も声も性格も知らない人のことは恨みようがない。
私の家は、祖父、祖母、父、そして私の四人家族。
一家の大黒柱である親父は、大学時代にアマチュアレスリングの猛者としてその名を轟かせたこともある超体育会系思考の持ち主だった。そんな親父は、息子をたくましい男に育てるため、まだ小さい私に強烈なスパルタ教育を施した。
DVすれすれの鉄拳制裁は日常茶飯事、泣くことも些細なわがままを言うことも許されない地獄の毎日。
夏の蒸し暑い日に、「暑い……」と弱音を吐けば「男が暑い寒いでガタガタ抜かすな!」と頬を張られ、学校のテストで百点を取ったときは「百点は取り続けないと何の意味もないぞ、調子に乗るな」とゲンコツを落とされた。「おやつが欲しい」とおねだりをすれば「ご飯粒を何回も噛むと甘くなってくるから、その甘さをお菓子の代わりにしろ」と言われる始末。魔が差して、親父の財布から百円を盗んだときは「一円の重みをわからせるために一円につき一発殴るぞ」と、本当に百発殴られた。