親父の教育方針は軍隊の新兵訓練にも似た厳しいものだったが、それで私の心が歪んだりすることはなかった。母親がいない影響からか人一倍「愛」に飢えていた私にとって何よりもつらいのは、無視されることだった。どんなに自分の仕事が忙しくても、必ず時間を割いてマンツーマンで私をしごいてくれた親父。頭など一生撫でてくれなくてもいい。親父の鉄拳にはちゃんと愛がこもっていたのだから。
だが、そうはいっても私もまだ小学生。たまには泣きたい日もある。そんなとき、親父にバレることなく安心して泣ける場所。それが家の近所にある寂れた墓地だった。幽霊の類はとくに怖くなかった。この世に存在するかどうかわからないものよりも、親父のほうが何倍も恐ろしい。
墓石の数は二十基程度、昼間でもどこか薄暗く、私以外にここを根城にしているのは数羽のカラスだけ。墓参り以外の用事で、こんな陰気な場所に来る奴などいるわけがない。この墓地は私だけの楽園なのだ。
生きている人間の前で泣くのは恥ずかしいが、すでに死んでいる人間になら、どれだけ醜態を晒してもかまわない。
「うわぁぁぁぁ! ぎゃぁぁぁぁ!」
まん丸の夕陽が空をオレンジ色に染め上げる頃、静寂を切り裂く子供の叫び声が幾度となく辺りにこだまする。もはやホラー映画のワンシーンだ。
墓地通いにも慣れてきた頃、私は暇つぶしに新しい遊びを発明した。それは死者との対話だ。といっても、霊能力がない私には墓地に眠る人たちの言葉を聞くことができないので、こちらが話し続けるだけの一方通行のコミュニケーションである。
親父や友達の悪口、学校であった楽しいこと、クラスでちょっと気になる女の子について話したり、小林旭や尾崎紀世彦といった自分の好きな歌手の歌をアカペラで歌って聞かせたり、時には墓石に抱きついたりなんかして、自分とは縁もゆかりもない死者たちと親交を深めていく。
厳格な父親とうまく会話ができない私にとって、放課後の墓地で死者と語らうこの時間だけが心安まるひとときだった。あまりにも居心地がよすぎて、『ゲゲゲの鬼太郎』のように墓場で運動会をしてしまう恐れもあったが、生きている友達が何人かできたので、私は墓地通いをやめることになった。
そう、あのとき、今まで自分を支えてくれた死者たちに誓ったはずだ。
「みんなの分までしっかり生きるからね!」と。