『大名の「定年後」―江戸の物見遊山』(著:青木宏一郎)

「江戸ルネサンス」が花開き

信鴻が日記に記したのは18世紀の後期、安永二年から天明四年までの12年間(1772~1784年)で、田沼意次(たぬま・おきつぐ)が老中として活躍した時代です。

田沼の財政策は、下層の都市庶民にも恩恵をもたらし、文化的な活動にも町人が参入することになりました。

特に江戸では、庶民性の強い芸術文化、浮世絵、歌舞伎、川柳、黄表紙、洒落本など新しい作風が持てはやされます。

江戸の三大娯楽と称される歌舞伎・遊廓・相撲などは、その後の町人が支えるようになります。それは、西欧より一歩進んだ「江戸ルネサンス」と言っても良いと思われます。

信鴻の日記には、この過渡的な社会を反映する様子が記されています。

元大名でありながら茶店の常連となり、そこの婆と身分関係なくやりとりをする。また、農家の妻が庭で機織りしている横で、信鴻たちが着替えをする。

当時、どのような場所でどのような人たちが、いかにして遊んでいたか。その混雑具合までもが詳しく記されているのです。ほかにも地震や火災に関する記載、喧嘩や盗難などの犯罪にも触れており、当時の社会情況が見えてきます。

そして信鴻は、江戸の町で、開帳や見世物、市や祭など、庶民が屈託なく遊んでいる姿を見て、「遊んでばかりいないで働けば良い」とか、「参詣や買い物が済んだら早く帰宅すべきだ」というような啓蒙的な記述は一切していません。それどころか、自らも仲間になって楽しもうとしていたのです。