江戸時代、大名は定年(隠居)した後、第二の人生をどのように過ごしたのだろうか? そんな疑問に答えてくれるのが、柳沢信鴻(やなぎさわ・のぶとき)です。彼は隠居後、現在の東京都文京区にある六義園(りくぎえん)に住み、今日でいうガーデニングや、観劇、物見遊山などを楽しむ優雅な生活を送り、その一部始終を『宴遊日記(えんゆうにっき)』に書き残しました。その中でも特に注目したいのが、物見遊山(旅行)。信鴻が満喫したセカンド・ライフの魅力を、『大名の「定年後」―江戸の物見遊山』を上梓した青木宏一郎さんが紹介します。
「夜桜が見たい」と側室に言われ・・・・・・
信鴻の物見遊山は、今日でも定年後の過ごし方の参考になり、学ぶべき事に溢れています。彼は決して現役時の身分(役職)に囚われることなく、謙虚で優しく、自然体で動いている。
出かけた場所の気象に合わせて行動し、出会う人たちに溶け込み、混雑状況などを鑑み、その場の雰囲気を大事にしているのです。
信鴻が訪れた場所は、浅草、吉原、上野、湯島、両国・亀戸、飛鳥山、護国寺・鬼子母神、芝居町などで、庶民の遊び場全域に渡っています。
湯島天神で、富籤(とみくじ)が興行されていれば迷わずチャレンジ。信鴻はなんと150枚もの籤を購入し、すべて外している。賞品のなかに、元大名が欲しいと思うものなどなかったであろう。そうとわかっていながら籤を買う信鴻、もう可愛いとしか言いようがない。
物見遊山の途中に、老婆の一行を見れば声を掛け、ともに如来観音を拝している。さらにその老婆が八里(約24km)の道を歩いてきたと聞けば、お金だけではなく弁当まで与えてしまう。
側室に「夜桜が見たい」とねだられれば、浅草から吉原遊廓へと案内。側室は籠に乗るが、信鴻は歩きっぱなし。桜を見たのは、午後7時頃までと短時間だが、六義園に帰宅したのは午後10時になっていました。
またある時、踊を見物していると、踊り手の18、9才の綺麗な娘が、信鴻を見て会釈をする。何事かと思って話を聞くと、なんと昨年まで息子の屋敷で使えていた娘であった。眉を剃っていたので、信鴻は気が付かなかったのです。
身内の屋敷に使えた娘からも挨拶される――信鴻の人柄の親しみやすさが伝わってきます。