「私の場合、エッセイでは細かい構成やロジックをあまり考えてないんですよ。ほぼ脳みそを通さずに瞬発力だけで書いてる(笑)。」(三浦さん)

いっぱい作って、あっさり捨てるの塩梅

鈴木 台本をもらって自分の演技を考えるとき、「ここで笑おう」「こんなふうにコーヒー飲んでみよう」といったアイデアは多いほどいいんです。もしコーヒーを飲む前に相手役の人が部屋を出ちゃったら、そのアイデアは捨てなきゃいけない。でも捨てるからといって出し惜しみをするのも違うと思う。だから、いっぱい作って、あっさり捨てる。その塩梅も、エッセイを書くようになって上手になった気がしています。

三浦 私も収まりきらなかったネタを、ばっさり切ることはよくあります。もったいないから手帳にメモっておいたりするんですが、結局再利用はできないですね。出がらしの茶は、やっぱりまずい。

鈴木 演技の場合、自分のひきだしはこれしかない、これを使ったらもう終わりと思っていても、ちゃんと出し切ると、新しい引き出しが不思議とできる。表現ってそういうところがありませんか?

三浦 そうですね。小説も「もう書きたいことなんてないよ」と思っても、全力で一作書き終えて、「でも今回はここがうまくいかなかったかも」と考えるうちに、新たな発想が湧いてきます。

鈴木 それは、ご自分の中から生まれるエモーションでしょうか。

三浦 ただ単に、書き終えると時間的余裕ができて、誰かと会ったり興味を持てる題材と出会ったりと、外からの刺激でアイデアが生まれるというだけかもしれません(笑)。普段は完全なインドア・オタクなので。

 

嫁姑問題? 知らんがなー

鈴木 小説でいろいろな人の人生を書いていると「世の中の『正解』を知ってるんでしょ、本の中に書いてあるんでしょ」と期待されて困る、ということはありませんか。

三浦 私は割とちゃらんぽらんだとバレているので、あまり期待はされていないと思います(笑)。でも、たまに人生相談の回答とかの依頼が来ると「こんな家に引きこもって人生経験ゼロの人間になぜ」と不安です。嫁姑問題? 知らんがなー、と。

鈴木 俳優の仕事でも「答え」を求められることは往々にしてありまして。たとえば出演した映画で一見うまくいってる夫婦が、長年たまった互いへのコンプレックスがある日爆発しちゃうシーンがありました。取材を受けた際、「ああならないために、2人はどうしたら良かったんでしょう」と質問されたときは――。

三浦 知らんがなー。(笑)

鈴木 もちろん演じるにあたって「彼女はなぜこういう感情を抱えたのか」と考えはしますけど。