髪を振り乱したケンカができない男女関係は不幸

よくできた「理想の母親」タイプの喜久江と、そんな妻に依存して根無し草のように暮らす太郎。傍からは諍いもない完璧な夫婦のように見えますが、そうではありません。
私は、自分を踏み外したところを相手に見せてしまうことこそが愛情の交感だと考えていて。

喜久江と太郎のように、髪を振り乱したケンカができない男女関係は不幸だと思うんです。一度でいいから異性をめぐって髪を振り乱すような思いや経験をしたことのある人だけが、血も涙もある関係を大事にできる。タイトルの「血も涙もある」には、そういう逆説的な意味も込めてあります。

太郎の愛人となった桃子は、欲しいものを必ず手に入れてきた唯我独尊のタイプ。己をよく見せようとする自己顕示欲を察知すると、すかさずツッコミを入れて、自虐にもっていく。大人がうまく生きていくには、こうした“ひとりボケとツッコミ”が必要なんじゃないか、と意識しました。

面白かったのが、作品を読んだ男性たちから、「関係がバレた後、喜久江が夫に言った言葉に衝撃を受けた」と言われたこと。女性たちは「当然よ」と喝采したというのに(笑)。ただ、男たちはそう言いながらも「格好よすぎて喜久江に惚れそう」とも口にするんだからねえ……。これがまさに、男女関係の奥深さ、謎めいたところです。