仕方なく一度自宅へ戻り、懐中電灯を持ってきました。車のヘッドライトをハイビームにして家を照らし、懐中電灯を持って家のまわりを一周。再び携帯で実家の電話と父の携帯へ、交互にかけます。標高の高い長野県の冬の夜、気温は氷点下まで冷え込んでいる。手も足も顔も、冷たいのを通り越して痛いほどです。

「とりあえず火事ではなかったし、もう帰ってもいいよね」と自分を納得させ、家に着いたのは23時。その夜は気分が悪いまま風呂に入り、寝るしかありませんでした。

翌朝8時に実家に電話してみると、母が何事もなかったかのように「おはよう」と言います。「昨夜、行ったんだけど」。いらつく私に、母は受話器の向こうで笑っている。まるで特ダネをこっそり教えてあげるというような口ぶりで、「うふふふふ。隠れていたの」「どこに?」「うふふふ。仕事場の2階」と言いました。すごいでしょうとでも言いたげでしたが、そんなことどうだっていい。

仕事場に続く階段は簡素な木製で、扉もありません。ですから、外で物音がしたら気がつかないはずはない。「すぐに来てくれなかったから、隠れて心配させてやろう」という母の幼稚な考えに、心底あきれました。

私はこんなふうになりたくない、と両親を反面教師として生きています。しかし「親が自分を幸せにしてくれなかった」「大学に進学させてくれなかった」というのは言い訳にすぎません。親とけんかしてでも「大学に行きたい」と言わなかった自分が一番悪いのです。

今からでも行ける大学があると知り、3年前に大学生になりました。不満を言う前に、こんな自分でも誰かに何かしてあげられることがあるはずだと、いつも前だけを見るようにしています。

幸せな家庭、いい職場、友人に恵まれ、今この上なく幸せに暮らしているのも、両親に育ててもらったから。両親の介護が始まったら、そう思いながらがんばろうと今は思っています。


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