かつては特性に合った仕事で生活できた

こういったお話をする際、いつもアフリカのマリ共和国の首都、バマコに行った時のことを思い出します。

街を歩く人に「どんな仕事をしているの?」と聞くと、多くの人は「色々」と答えてくれました。彼らは特定の職に就いているのでなく、その日、そこにあった仕事をするのだそうです。

自分ができる仕事を少しだけやって、それで生活する。彼らは決して裕福な生活を送っているわけではないですが、のんびりした穏やかな暮らしがそこにはありました。

日本でも、それぞれの特性に合う仕事を選び、それで生活できる社会がかつてありました。特に半世紀前までの働き方は多様でした。たとえば1960年代くらいまでの産業構造を調べると、第1次、2次、3次産業がバランスよい状態に保たれていることが分かります。

そのため少々の凸凹やペースの違いがあっても、個人の特性に応じた働く場所がありました。小さな工場に行けば気難しい職人さんがいて、愛想は悪くとも、コミュニケーションは上手でなくとも、素晴らしい仕事を見せてくれました。

また、街の八百屋や魚屋に行けば、休むことなく動き回る店主が、詳しく商品の説明をしてくれました。こちらが早く帰りたくても話が続くので帰れない、なんてことがあっても、そこで得た野菜や魚の知識は今も生きています。

読み書きが苦手で、学校の成績が悪かった友人がいますが、彼は中学を卒業し、地元で家業の農業を手伝っています。テストの点が悪くとも、体力があって根気強い彼は、農業には適していたのか、高校に進学することのないまま、今でも楽しそうに働いています。

日本でも、それぞれの特性に応じて、自分のペースで働けるような社会があったわけです。