個性の強さから学校で問題児扱いされるような子どもたちを集め、彼らに自由な発想と学びの場を提供することを目指した教育が、東京大学にて行われています。そこでディレクターを務める中邑賢龍教授は「かつての日本では、それぞれの特性に合った生き方を選べた。今はそれが許されていないことが教育に悪影響を及ぼしている」と警告しますが――

※本稿は、中邑賢龍『どの子も違う――才能を伸ばす子育て 潰す子育て』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

第二回●「子育ては褒めるのが大事、叱るのは良くない」が招く危うい未来

なぜ子育てしにくい社会が放置されているのか

プラットフォーマーと呼ばれる巨大企業があらゆる業界を飲み込み、成長を遂げる中、ここにきての新型コロナウイルスの広がりもあり、さまざまな企業や業種が時代に取り残されれつつあります。

その結果、足元の経済格差はさらに広がってしまいました。国の財政難も深刻になり、自助努力が難しい人だろうと公助になかなか頼れないという“壁”のようなものを感じる時代になっています。

本来ならば公助の社会を構築するべく、地域住民がより協力する必要があるのかもしれませんが、そうしたコミュニティも、すでにこれまでの変化の中でほぼ崩壊してしまいました。

弱々しい社会に、親子の問題の解決を頼るのが難しいのは明白で、また同時に社会そのものの構造として、多くの人が子育てしにくいと感じる状況が続いています。

しかし、放置していればいつまでも解決はなされない、そうした社会が築く“壁”について、今回少し考えてみたいと思います。