個性の強さから学校で問題児扱いされるような子どもたちを集め、彼らに自由な発想と学びの場を提供することを目指した教育が、東京大学にて行われています。そこでディレクターを務める中邑賢龍教授は「親子のために存在する学校が、彼らの前に立ちふさがる”壁”になることもある」と指摘します――

※本稿は、中邑賢龍『どの子も違う――才能を伸ばす子育て 潰す子育て』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

なぜ学校が親子にとって”壁”になってしまうのか

以前にも増して、最近「学校に子どもが馴染めない」と心配する親が増えているように筆者は感じています。

その結果、親は「子どもが教科書を読めないので、タブレットの持ち込みをお願いしたい」、「子どもの興味が違うので、内容をそれに合わせてほしい」、「ぺースが遅いので時間を延長してほしい」といった希望を、学校に伝えるようになりました。

一クラスに何十人もいる児童、生徒を一斉に教える先生からすれば、そんな余裕があるはずもないので、単に親のわがままやクレームとして聞きながしているかもしれません。学習指導要領に定められた単元をちゃんと教えなければならない先生ができることには、実際、限度があります。

しかし、子どもが可愛い親は、なんとか学校での問題解決が図れないか、一所懸命に模索する。そしていつの間にか学校を、目の前に立ちふさがる“壁”として見出してしまうのです。