あの頃の映画はぜっっったいに見られたくない!
ただ、兄弟には父の面影が色濃い。前出の記事内で「昔の親父の映画を見ると、兄貴、そっくりですよね」と語っていた正和さん。兄・高廣さんも「亮のときもあるし、正和のほうが似てる時期もある。それからぼくと正和の間に全く別の仕事をしている弟がいるんですが、彼に似ているときもあるしね。で、みんながそれぞれの年代の親父に似てるんですね」と語っている(1987年10月号)。
その偉大な父が亡くなったのは、正和さんが9歳の時だった。
「もう少し長く生きてたら、僕たち兄弟の運命は、ずいぶん違っていたでしょう。兄は商社マンとしてニューヨークに赴任する寸前だったのに、親父の跡を継がざるをえなくなった。弟も大学在学中にアルバイトのつもりで俳優を始め、いずれは会社員になるつもりだったから、あえて芸名で活動していました。子どもの頃から俳優になりたかったのは、僕だけなんです」(「自称・怠け者のストイシズム」)
「(北大路)欣也ちゃんのところは、お父さんが長生きなさっていますよね(故・市川右太衛門)。阪東妻三郎がせめてあれぐらい生きていてくれたら、僕ももうちょっと、しっかりした俳優になったんじゃないかな。母親っ子だったから、甘いところがあるんです。親の七光りで主演映画を4本も作ってもらったんですけど、本当にダメ。基礎も勉強していなくて、周囲の期待に応えられませんでした。下手なんてもんじゃない、『お前、やめたら?』というぐらい。あの頃の映画がかかったら、僕は自殺します。ぜっっったいに見られたくない!(笑)」