自分の家が嫌いだったわたし

養子縁組をしてまで作りたい家庭像は、自分の育った家庭に根ざしているのですか? と聞かれることがありますが、全然そんなことはありません。私は自分の家が嫌いで、「家族っていいな」なんて思ったこともなかった。父はとても怖くて横柄な昭和のお父さんでした。何を頼んでも「ダメだ」の一点張り。子どもの頃は会話をした記憶がほとんどありません。

一方母は弱い人でした。理不尽な父を前に、私を守るすべはなく、「とにかく耐えなさい」と。また、私が何かに挑戦しようとすると、「できるわけない」と決めつけ、失敗したらどれだけ大変なことになるかを説くような人でした。

私は小学校の頃は勉強があまり得意ではありませんでしたが、中学に入ると英語に夢中になって。家でリーディングの練習をしている私に、母は「下手な発音ね」と言いました。そんなふうに否定され続け、自分の居場所はここにはないとずっと思っていたのです。

家族って本来、もっと温かいもののはずだ、と思うようになったのは、16歳でカリフォルニア州にホームステイをした時のホストファミリーが素敵なご夫婦だったから。2人は私を、ほめてほめて、ほめまくるのです。そして何をするにも「トモコはどう思う?」と意見を聞いてくれる。ご夫婦はいつも仲が良く、居心地が良かった。

そんなホームステイ先から自分の家に帰ってくるとこみあげてくる、「私の居場所はここではない」という思い。最初は、この思いが何に起因しているかがわかりませんでした。でも、その後毎年、そのご夫婦のところにホームステイさせていただくようになり、私は両親ともっと話をしたかったんだということに気づいたのです。大学生になる頃には、自分から話しかけることで少しずつ父との会話が増えていきました。