父の認知症、母の死。わが家の状況が一変した

まるでそれを待っていたかのように、先物取引会社の幹部のA氏とその部下たちが、わが家に出入りするようになった。もともと父は株や先物取引などを嫌っていたが、A氏の強引な売り込みに押し切られ、言われるがまま取引に応じてしまった。

そのうえ、以前から何かと父を頼っていた父の長姉の息子が、父に借金を重ねるようになった。母と私がお金を貸すのをやめるよういくら注意しても、父はまったく聞く耳を持たず、お金を持って行かれることに変わりはなかった。

しかし、この頃の私は、まだ事態をどこか甘く見ていた。なぜなら父は並外れた倹約家で、一円のお金にも厳しい人だったからである。そんな父がまさか大金を使うはずはないと思っていたのだ。

当時、母は重い腎臓病を患い、人工透析を受けていたし、さらに肺がんの告知も受けた。高齢で重い病を二つ抱え、そのうえ父の認知症と散財である。いくつも悩みが重なり、頭がおかしくなるような状態だったに違いない。

そんななか、兄は再び海外に赴任するという。自ら希望したと母から聞いた。父のお金に群がる人間をたしなめることすらできない小心者なのに、「今のオヤジに何を言っても無駄だぞ」などと偉そうに言い残し、家族と行ってしまった。

その後、兄が一時帰国していた間に、母が亡くなった。父や家族の混乱の渦中で、実に悲しい最期であった。この頃から、兄は私を「お前、お前」と吐き捨てるように呼ぶのが当たり前になっていた。「お前、もっと気を利かせろ」「お前、頭を使え」。私は、兄に幼い性をいたぶられた頃の子どもではない。家庭を持ち子どももいる大人だ。妹は兄の家来でもなければ、召使いでもない。

そんな兄が、一人残された父のことで「相談に乗ってくれ」と言う。しかし、「相談」ではなかった。「お父さんのことはお前に任せたから、責任を持ってやれ」と、世話を強要されたに過ぎなかった。