散歩ってもともと目的もなく、意味もなく、ただぶらぶら歩くから楽しい。二股の路地なら、どっちに進もうか。食堂に出会えば、美味しいかな? 美味しければラッキー、くらいの気楽さで。僕は橋がたくさんかかっている川も好きですね。どの橋で折り返そうかなって。いつも適当なんです。
人は目的を持つと頭がそこにいっちゃうから、自由に何かを発見したり感じたりすることができなくなる。
スマホを見始めるとそうですね。地図のアプリで最短距離のルートを調べて、画面ばっかり見て「あそこを曲がらなきゃ」とか考えながら歩くなんて、散歩から最も遠い行為でしょう。
もちろん道に迷った時は頼りになるツールだから、むしろ「困ったら見ればいい」というお守りだと思って、どんどん道に迷うといいんですよ。
突然子どもたちに「こんにちは!」と挨拶されて
数年前に雑誌で東京から大阪まで「散歩をする」という連載をしたことがあります。地図を見ないで、大阪までそぞろ歩きしてみようと。もちろん一気には行けないから、一日歩けるところまで歩いたら電車で戻り、翌月はそこから歩き始めるということで、25ヵ月かかって到着しました。
最初に品川から横浜まで歩いた時は、ものすごく疲れました。連載の初回だから「面白いネタを探さなきゃ」「急がないと日が暮れちゃう」と焦っていたんだと思う。それが回を重ねていくと、編集者が「何も書くことがなさそう」と心配していたエリアが実は一番発見と驚きが多かった。
たとえば静岡の真ん中あたりに来たら、突然子どもたちに「こんにちは!」って挨拶されるようになった。それを帰りに寄った焼き鳥屋のおばあちゃんに話したら、「自分も小さい時にそう教えられた」と。そんな昔から、この地域ではそういう風習があったんだ、とわかる。なにか、じんわり感動しました。事前に教えられてたら、感動はなかったと思う。